2013年02月04日

恐れに対抗するには・・・・・・

2日(土)は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会に参加しました。お茶の水で行われるので、前日から出かけて三鷹の実家に泊まりました。

実家の庭に雪がまだ積もっていたのでびっくりしました。母は雪の上を歩いて水やりをしていました。転ぶのではないかと心配でしたが、ずいぶん用心して歩いていました。昨年腕を骨折したことで用心深くなったと自分で言っています。軽い怪我のおかげで大怪我が予防されているのかもしれません。


JCP例会では、参加者ひとりひとりが書くことと読書について今年の抱負を語りました。みなさんの高い志に圧倒されました。
また、K先生によるメッセージは心に残りました。印象に残ったことを紹介させていただきます。

信仰には積極的信仰と、受動的信仰があります。
積極的信仰とは、仕事、勉強、貯金など、人の努力に神の支えがあることです。

受動的信仰には次の3つがあります。

@人間的に見て不可能と思われる危機的状況にあるとき、すべて神様にゆだねる信仰。
A人の力ではあきらかに無理な場合。人の魂の救いやいのちのことを神様におまかせする信仰。
B神から新しい使命を求めるとき、神のみ前にゆだねる信仰。

旧約聖書イザヤ書7章には、アラムと北イスラエルの同盟が南ユダ王国に迫ってきたときのことが書かれています。
「すると、王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した。(イザヤ7:2)」と書かれているように、アハズ王も国民も動揺します。

そのとき、イザヤは神様の言葉を告げます。
「気をつけて、静かにしていなさい、恐れてはなりません。(イザヤ7:4)」
自分の力では絶対に勝てない。このままだと国が滅ぼされてしまう。そんな危機的状況にあるとき、神様に身をゆだねていれば救われ、力を得るのです。


このメッセージをわたしが小説書くということにあてはめて考えてみました。
何のために書くのかという明確な使命と作品のテーマが与えられるまでは書き出さず、与えられることを求めて祈りつつ待ちました。使命とテーマが与えられたとき、書きはじめました。書きはじめるまでは受動的信仰で、書くということは積極的信仰になるのでしょうか。

一文字も書かずに祈っていて、朝になったら作品が書き上がっていた……なんていうことはありませんね。

書いているときに生じる闘いについては、積極的信仰、受動的信仰のどちらで対処したらいいのでしょうか?
「また、こんなつまらないものを書いて……誰も読んでくれないよ」
「時間の無駄だよ」
という内なる声に恐れをなして、書けなくなってしまうのです。この声に勝つにはどうしたらいいのでしょう……。

「気をつけて、静かにしていなさい、恐れてはなりません。」
このみ言葉をもって対抗します。
posted by 土筆文香 at 13:05| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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