2013年03月30日

池田先生を偲んで

28日は、日本クリスチャン・ペンクラブの理事長であり、霞が関キリスト教会の牧師、池田勇人先生の葬儀でした。

葬儀の行われた霞が関キリスト教会は、埼玉県川越市で、最寄りの駅まで池袋から50分ほどかかります。
わたしは前日に三鷹の実家に泊まって出かけました。
会堂に入りきれないほどの大勢の方々が葬儀に参列していました。スクリーンには池田先生のあらゆる場面の写真が映し出されていました。

いつも優しかった先生を思い出して胸がいっぱいになりました。
葬儀で池田先生が46歳の時に遺言を書いておられたことを聞きました.
かつて池田先生が「人は、いつ召されるかわからないので、死の備えをしているのです」と言われたのを思い出しました。
葬儀で賛美した聖歌「救い主イエスと」、「重くとも汝が十字架」は、そのとき葬儀に歌うように希望されていたものでした。

池田先生に初めてお目にかかったのは14年ぐらい前でしょうか、土浦めぐみ教会でメッセージをして下さったときでした。童謡「赤とんぼ」の作詞者三木露風がクリスチャンであること、竿の先にとまったトンボは十字架を意味しているというお話が深く印象に残っています。
でも、そのときは個人的に言葉を交わすことがありませんでした。

それから数年後、クリスチャン新聞社のあかし文学賞にわたしの書いた小説が入選しました。入選の知らせを受ける一日前、池田先生からお手紙が届きました。日本クリスチャン・ペンクラブの例会へのお誘いでした。
池田先生がなぜわたしの住所をご存じで、なぜペンクラブに誘って下さっているのかわからずにいました。
翌日クリスチャン新聞社から入選の知らせの電話をいただき、池田先生があかし文学賞の選者のおひとりだと知って、ようやく理由がわかったのでした。

それでもすぐには例会に行かず、出向いたのは半年たった秋のことでした。その年はちょうどクリスチャン・ペンクラブ50周年の年でした。池田先生はわたしのことを待っていて下さったように歓迎して下さいました。その日に入会を決め、それから10年、ペンクラブに連なっています。

わたしの書いた小説「リピート・シンドローム」が出版されたのは、池田先生のおかげです。池田先生に原稿を見せると、すぐにキリスト新聞社の社長さんに送って下さいました。池田先生と社長さんとはお知り合いだったのです。すぐに出版の話になりました。
本名で出さないほうがいいということで、ペンネームを考えなければなりませんでした。
それで、ペンネームをつけてくださいと池田先生に頼みました。今から考えると、大変なお願いをしてしまったようで、先生からは「ペンネーム、考えています。しばらく待ってください」とメールが届いた後、1か月ぐらいしていくつか候補を挙げて下さいました。
谷野百合というのもあって、それは池田先生のペンネームでもあったのですが、それがよければ差し上げますといわれました。わたしは恐れ多くて、また、自分自身が華やかな百合より、地味な土筆に似ている気がして土筆文香を選ばせていただきました。

本が出版されてからは、何十冊も持って松原湖や神学校に出向いて下さり、本を紹介して売って下さいました。

思い出を書きはじめたら原稿用紙何十枚にもなってしまうので、やめますが、わたしだけではなく、多くの方々がそれぞれ池田先生のしてくださったことに感謝の思いを抱いていることがわかって驚いています。

池田先生は、教会員やペンクラブ会員だけでなく、出会った者ひとりひとりに実に細やかな愛の配慮をしてくださっていたのです。

「まことに、あなたがたに告げます、あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25:40)」の聖書の言葉をまさに実践されたのです。

63歳で召されるとは早すぎる気がしてなりませんが。神様の時だったのですね。

「兄弟たちよ。私は自分はすでに捕えられたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標をめざして一心に走っているのです。」葬儀で読まれた聖書箇所ピリピ3:10〜14 より

posted by 土筆文香 at 16:16| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

悲しき桜

23日がお茶の水で行われる日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会だったので、22日から実家に帰っていました。

桜がきれいなので、母と吉祥寺駅で待ち合わせし、井の頭公園にお花見に行ってきました。ほぼ満開で、平日なのにたくさんの人で賑わっていました。

桜の花の下を自分の足で歩きたいと言われたJCP理事長の池田先生の言葉を思い出していたら、母と一緒にあと何回桜が見られるのだろう……と少し悲しくなりました。

その日の夜、池田先生が12時17分に天国へ召されたという知らせを受けました。母と昼食をとっている時間でした。9日ほど前、JCPのメンバーとホスピスへお見舞いに行ったばかりでした。先生は想像していたよりもお元気で、お話もでき、賛美して帰ってきたのですが、痩せて小さくなってしまった先生にお目にかかってから、悲しみが固まって胸の中に凍りついてしまったので、ブログに書くこともできないでいました。
書いたら、凍ったものが一気に噴き出して涙が止まらなくなりそうだったからです。

先生の癌がみつかったときはすでに転移しており、医師から数か月の命と言われていたのです。ところが、それから2年もいのちが保たれました。昨年の10月にはJCP60周年記念会で力強いメッセージをしてくださいました。

ホスピスに入られてからは、もうすぐ命が尽きようとしていることは誰の目にもあきらかで、それでも奇跡の快復を祈っていました。
覚悟はしていたとはいえ、こんなに早くその日がくると思っていなかったのでショックでした。

わたしの中の悲しみの塊が爆発するのではないかと思いましたが、不思議なほどに涙は少ししか出ませんでした。JCPの仲間が、「先生が痛みや苦しみから解放され、天国で安らいでいることは確か」と言った言葉に慰めを受けたのです。
同じように先生の死を悲しんでいる仲間がいる。その共有した思いがあることに救われています。告別式では泣いてしまうかもしれませんが……。

【「あなたの身辺整理をせよ」との声を聞く時が、誰にでもやってきます。その時が大いなる絶望の時となる時でなく、整理をする時間的余裕を神様が与えてくださったと、前向きにとらえ直させてください。】
                   池田先生の最後のメッセージの祈りより
posted by 土筆文香 at 20:48| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月21日

何の応答がなくても(奇跡について6)

風がふけば嵐になり、寒い日と暖かい日が交代でやってきて、体調がおかしくなりそうです。桜川の桜が咲きはじめました。

お茶の水聖書学院の卒業論文にヨハネの福音書からイエス様が行った奇跡の意味と意義について書きました。
論文を書いて教えられたことを記しています。(論文そのままではありません)
イエス様の行った最後の奇跡はラザロのよみがえりです。(ヨハネ11:1-45)

イエス様はマルタ、マリヤ姉妹と親しくされており、しばしばその家に立ち寄っています。
そのマルタ、マリヤ姉妹の兄弟のラザロが重い病気にかかりました。マルタとマリヤはイエス様のところに使いを送って、「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」と伝えました。
イエス様は愛するラザロが病気だと聞いてもすぐには駆けつけず、その場所に2日もとどまりました。イエス様がユダヤに行ったとき、ラザロは4日も前に亡くなっていて、墓に入れられていたのです。

マルタもマリヤも、イエス様がもっと早く来てくだされば、ラザロは死なずにすんだのに……と訴えます。イエス様が来てくださったことで問題は解決するのですが、姉妹は死んだ人がまさかよみがえるとは思っていなかったので、希望を失っています。
イエス様に不思議な力があることを知っていても、死んでしまったらどうしようもないと思っていたのです。

そのようなとき、イエス様はラザロの墓の前で言いました。「その石(洞穴の墓の前にある石)を取りのけなさい」人々は、いぶかりながらも石を取りのけました。

イエス様が「ラザロよ。出て来なさい」と大声で言われると、ラザロは体に長い布を巻きつけられたままで出てきました。よみがえったのです。そこに居合わせた人々はどれほど驚いたことでしょう。

イエスがこの奇跡を起こされた理由として考えられるのは、次の4つです。
@ヨハネ11:25「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」によって明らかにされているように、キリストが生と死を支配するお方であること、キリストがよみがえりであり、いのちであることを示すため。
Aイエスが十字架の死の3日目によみがえることの前兆としての意味を込めて。
Bキリストの愛とあわれみによって。「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」(ヨハネ11:5)
C神の栄光をあらわすため。


イエスは、マルタ・マリヤ姉妹の望みをすぐにかなえず、意図的に遅らせました。ラザロの死から4日もたってそこへ行くことが、神の栄光をあらわすことにつながるからでした。
イエスがラザロの死の直後によみがえらせたとしたら、ラザロは仮死状態だったと疑う人も出てくるかもしれません。でも、死んで4日もたち、すでに腐敗がはじまっているような時期によみがえらせたので、奇跡を疑う余地がなくなりました。そしてこのことは何より神の栄光をあらわすことになりました。


祈ってもかなえられないことがあります。むしろすぐかなえられるときの方が少ないような気がします。
かなえられないと、祈りを神様は聞いていないのではないか、聞いておられたとしてもこのような祈りは受け入れてもらえないのだろう……などと詮索します。
それが早急な願いだとして、何の応答もないとあせります。

マルタとマリヤもあせったことでしょう。愛するラザロが死にかけているのですから。ところが、イエス様が来られたのはラザロの死から4日もたってからでした。
このことにどういう意味があるか、姉妹にはわかりません。そこに居合わせた人も同じでしょう。

神様には神様の都合があって、わざと遅らせることがあるのです。何も応答がないと、不安になりますが、水面下で神様の御手が動いているのですね。
神様は最善な時に最善なことをなしてくださる。そのことを信じて歩んでいきたいです。
posted by 土筆文香 at 21:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月19日

病院で「冥土めぐり」

今日は病院の日で、内科と婦人科を受診してきました。
実は、先月の12日に予約を入れていたのですが、22日と勘違いしていて、20日になってから間違っていたことに気づいたのでした。
いつも受診日をカレンダーに書いておくのに、手帳に書いただけでその手帳を見ていなかったために起きたことでした。このようなことは初めてなので、自分自身ショックでした。

内科の方は、電話で再予約できたのですが、婦人科は予約ができませんと言われました。
以前、婦人科に予約なしで行ったら、6時間待たされたことを思い出しました。あまりにも長い間待たされたので疲れ果て、かえって具合が悪くなってしまいました。

今日は、3冊の本とペットボトルのお茶を持って出かけました。覚悟をしていたとはいえ、憂鬱でした。
ところが今日は内科が終わって婦人科に行くと、30分ほどで呼ばれました。血液検査をすることになり、検査室は患者が入りきれないほどたくさんいたので、そこで40分ほど待たされましたが、あとはスムーズで、終わったらまだお昼前だったのでびっくりしました。


待合室では図書館で予約していた本、「冥土めぐり」(鹿島田真希著、河出書房新社)をようやく借りられたので、それを読んでいました。
「冥土めぐりは」昨年の芥川賞受賞作です。作者の鹿島田真希さんがクリスチャンだと知って、読んでみたいと思ったのです。
この小説は、劇的なことが起こるというのではなく、主人公が理不尽を受容していく心の旅のような内面的小説です。

主人公の奈津子は、裕福だった過去に執着し、借金を重ねる母と弟から資産家と結婚することを望まれていました。
ところが、彼女が結婚したのは市役所の職員でした。結婚後、夫の太一は脳の病にかかり、体の自由を失ってしまいます。太一は困難を受容して今を素直に生きています。
生きる気力を失っていた奈津子は、太一と共に子どもの頃泊まったホテルに宿泊して、旅をするうちに変化していきます。

奈津子が母親や弟に縛られているのは、過去のトラウマからきているのだろうと思い、共感できました。夫の太一が突然脳の病にかかってしまうことは不幸なことなのかもしれませんが、そのことが救いとなったと気づくところが印象に残りました。

心に残った箇所を紹介します
「太一は自分の家族から受けた仕打ちについて、突然見舞われた、脳の病について、どうしてなにも語らないのだろう、と。この一連の理不尽と矛盾について、彼はどう思っているのだろう。だが、今旅の終わりに奈津子はなんとなくわかる気がする。彼はきっとなににも考えていないのだ。晴れの日は服を脱ぎ、雨の日は傘を差す。きっとその程度にしか感じていないのだ。(中略)普通の人なら考える。もうたくさん、うんざりだ。この不公平は、と。だけど太一は考えない。太一の世界の中に不公平があるのは当たり前で、太一の世界は、不公平を呑み込んでしまう。たとえそれがまずかろうが毒であろうが。」(p71〜72)

『不公平呑み込んでしまう。』という一文にはっとさせられました。
どうして自分だけがこんな苦しみを背負わなくてはならないのか、不公平だとつぶやくのではなく、不公平は当たり前のこととして受け入れる太一の姿に奈津子は救われたのだと思いました。

それにしても「冥土めぐり」というタイトルはどういう意味なのでしょう……。
わたしは、タイトルを聞いて、冥土という場所を旅する人たちのファンタジー的な小説だと思っていましたが、全く違っていました。

タイトルの意味について、作者が語っていたものがネットに掲載されていました。

冥土の概念が、天国でも地獄でもない不思議なところ。
「主人公が、心が死んでしまったような状態から、生きる生命力をもらって帰ってくる、そこが冥土を巡って帰ってきたという意味です。」


文芸春秋の選評では川上弘美氏が次のように書いておられます。

なんだかよくわからないのに、この小説はとても切実だった。その切実さは、作者が小説にこめた思いの強さ、などというものからきているのではないと思います。そうではなく、作者の書き方、技術の手柄なのです。技術という言葉は、「小手先」などという言葉と結びついて浅薄な印象をまま与えますが、書いている時の切実さを小説にこめるには、どうしても技術が必要になると思うのです。技術は、それぞれの作者が年月を積み重ねて独自に手に入れたものであり、決してマニュアル化のできないものです。

『技術は、それぞれの作者が年月を積み重ねて独自に手に入れたもの』
わたしの場合は、『年月だけは積み重ねて来たけれど、技術が伴わない』のです。
posted by 土筆文香 at 21:07| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月16日

行先がわからなくても


昨日はOさん宅での家庭集会で、アブラム(後にアブラハムと改名)の旅立ちの箇所を学びました。アブラムが神様から「わたしの示す地にいきなさい」と言われ、その通りに出発しました。

アブラムひとりではなく、妻のサライ(のちにサラと改名)と父のテラ、甥のロト、しもべたち、家畜などと一緒です。
住み慣れた町を離れるのは大変だったでしょうし、家族の反対もあったかもしれません。サライは反対しなかったのでしょうか? サライの性格を考えると、黙って従ったとは思えないのですが……。

また、そのときのアブラムの年齢は75歳だったそうです。でも、アブラムは175歳で死を迎えるので、現在の男性の平均寿命(80歳)に換算すると、34-35歳ということになると聞いて、案外若いんだと思いました。

アブラムが町を出ていくことを告げたときの、周囲の長老たちとアブラムの会話を想像してイギリスのF・Bマイヤーが書いた文章を紹介します。

「アブラム、ここには何でもあるのに、これ以上いったい何を望むというのかね」
「私は神様のみこころを行う以外、何も望みません」
「大人げないことを言うんじゃないよ。様々な危険に目を留めてごらん。あんたはまず砂漠を横切るんだよ(中略)それに強盗の群れに襲われたら、どううるつもりかね」
「しかし、私に行けとお命じになるお方は、いっさいの責任をおとりになるに違いありません。この方は必ず私たちの面倒を見てくださいます」


その後長老に行先だけでも知らせるように言われますが。行先はわからないけれども、一日に一日分の旅行をすればその分だけ行先がはっきりしてくる。と言って、アブラムは旅立ちます。


アブラムの神様に対する信頼はすごいですね。行先さえはっきりしていないのに旅立つように言われて、道中の危険、年老いた父のことなどたくさんの心配事があっても、神さまが一切の責任を取ってくださる、必ず面倒を見てくださると信じて疑わずに出発したのですから。

アブラムは行く先々で祭壇を築いて礼拝しました。アブラムは素朴に神様に感謝し、主のために礼拝をささげたのです。

そのアブラムの姿から「礼拝は人の生活とともにある」ことを示されました。この世の旅路と共にいつもささげていくのが礼拝なのだと教えられました。

人生を旅するときも、どこへ向かっているのか行先がわからないことがあります。予期せぬ出来事が起こって、これからどうなっていくんだろう……と不安な気持ちでいっぱいになることがあります。でも、日々ここまで守られたことを主に感謝し、一日に一日分の歩みをしていけばいいのだな。行先も心配事もすべて神様にお任せして歩いていけばいいのだなと思いました。
posted by 土筆文香 at 17:31| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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