2013年04月06日

奇跡の意味と意義(奇跡についてその7)

お茶の水聖書学院の卒業論文「奇跡の意味と意義について」よりシリーズで書いてきました。
いよいよ結論を紹介します。あくまでもわたし個人が感じ、考えたことですので、正しいか正しくないかの判断はできません。
カルヴァン、CLアレンなど有名な聖書学者たちも、聖書の同じ個所に対してさまざまな考えを記しており、正反対の考えを書いているものがあることを思うと、どれが真実かみきわめるのは大変難しい作業です。でも、さまざまな視点から思いを巡らすことができたのでよかったです。

最初はわたし自身の考えというものがはっきりしていなかったのですが、文献を調べていくうちに自分自身の考えがまとまってきました。
論文に書いた結論の一部を紹介します。
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新約聖書における奇跡の目的がヨハネ20:31に次のように書かれている。
「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じてイエスの御名よっていのちを得るためである」
神は、すべての人がイエスが救い主であることを信じるようになって欲しいと願われて奇跡を起こされたのである。(中略)
ヨハネは、共観福音書の記者とは違って、奇跡を「しるし」と呼んでいる。奇跡はイエスがだれであるか証拠を与えるものという見解で「しるし」と呼んだ。(中略)


単に奇跡的出来事、不思議な出来事を神のみわざとみなすことは危険である。悪魔も不思議を行うからである。迷信や根拠のない不思議な出来事を奇跡と言わないようにしなければならない。
フランクコールは、「しかし、聖書では悪魔の奇跡は神の奇跡に劣るものとして示されている。(中略)しかし、悪魔の知識の方がわれわれの知識よりも大きいために、こうした『ふしぎ』がわれわれには奇跡のようにみえるのであろう。」 と記している。(中略)

この論文を書くにあたって聖書学者たちの考えを調べているうちに奇跡がいかにキリスト教の重要な部分を占めているかということがわかった。最初は、奇跡がなければ多くの人たちがつまずかずに信仰に導かれるのではないかと考えていた。
また、逆に神がもっと目を見張るような奇跡を起こせば、多くの人が信仰をもつことができるのに…という思いもあった。しかし、奇跡を見たことによってのみ信じた人は、もっと奇跡を求めるようになり、神の言葉を求めなくなる。このことは、主のみこころではないであろう。

カルヴァンは「もちろん神は、一瞬にして病人たちすべてを癒すこともできただろう。しかし、奇跡にはそれなりの意味と目的があるので、またそれには節度がなければならないのである。」 )と記している。

それでは、なぜ神は奇跡を行ったのだろうか。
聖書における奇跡の定義は、イエスの神性(全能性、無限性、遍在性、超越性、永遠性そして、時を支配される力)を示し、イエスが神の子であること、約束されたお方、救い主であることを立証するわざとして行った行為である。そして、その根底には神の人類に対する愛と憐れみがあることを忘れてはならないと思う。

奇跡は現代でも起こりうるだろうか。
奇跡は、神の愛から起こされるのであるから、現代においても祈りの答えとして起こり得ると思う。だから、どんなときにもあきらめないで祈ることが大切である。でも、たとえ奇跡が起こらなかったとしても、主権は神にあるのだから、それをよしとして受け入れなければならない。
明日、いや一瞬先に起こることを予見することすらできない者が、全知全能である神の計らいを知ることができないからである。結果は神に委ね、神の最善を信じて祈り続けたい。


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先日葬儀が行われましたが、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の理事長池田先生が2年余りの闘病の後、癌で召されました。
癌だとわかったときにはすでに肝臓に転移しており、医師に余命が3か月と言われたと聞いたとき、奇跡の回復を祈りました。
そのとき、神様に奇跡を願ってもいいのだろうかと思い、論文のテーマを決めました。

結局完治せず、駆け足で天国へ行ってしまわれたのですが、奇跡は起きていたのです。昨年の10月、JCP60周年記念にはお茶の水に出向いてメッセージをしてくださったことは奇跡といえるのではないでしょうか。

2年の間に2冊の本を出版されたこと、教会では2月いっぱいまでメッセージをされたこと。ご自分の死と向き合われつつ語られた言葉は、多くの方の心を打ったこどでしょう。このことも奇跡だと思います。

ホスピス入院後もさらなる奇跡が起きて癌細胞が消滅ということにならないかと祈っていましたが、その祈りはかなえられませんでした。とても悲しいのですが、神様が決められたことなのです。

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1-21)」
posted by 土筆文香 at 11:22| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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