2013年04月22日

あなたがいないと世界は光を失う

昨日は洗礼礼拝でした。4人の中学生女子と3人の男性が洗礼を受けました。ひとりは友人のご主人です。友人の十年来の祈りがかなえられたのです。

4人の中学生たちは、全員小学2年生の時、教会学校で受け持った子どもたちです。
受洗して輝いている方々の顔を見て、喜びがあふれました。


先週の家庭集会では新しい発見がありましたので紹介します。

ルカ6:6-11にはイエス様が安息日に右手のなえた(麻痺した)人を癒すという奇跡が書かれています。
同じような記事がマタイ12:9-13マルコ3:1-5に書かれていますが、そこには右手ではなく片手と書かれています。
ルカだけが右手と書いたのは、ルカが医師としての綿密さがあったからというだけではなく、その人の人生をあらわす事柄としてあえて右手と書いたのだと教えていただきました。

この人は右利きで、おそらく石工として働いていたのですが、事故または病気で右手が麻痺し、生活ができなくなったということが想像されます。

この人は会堂にいたと書かれています。ホームレスだったので会堂に寝泊まりして物乞いをしていたと考えられます。
安息日にイエス様がこの右手の麻痺した人のいる会堂に入りました。

この人のことで、律法学者とパリサイ人はイエス様を訴える口実ができるかもしれないと思って、じっとようすを伺っていました。
安息日は神様を礼拝する日なので、仕事をしてはならないという律法がありました。律法学者たちは日常生活の細かいところまで決まりを作り、ちょっとしたことでも仕事をしたことになると言って人を裁いていました。病人を癒すことも安息日にしてはならないことだと考えていたようです。

彼らは、もしイエス様が安息日にこの人を癒したら、訴えてやろうと思っていたのです。
彼らにとって、人とは比較するもので、優劣をつけるものだと思っていたのです。

イエス様は右手の麻痺した人に「立って真中に出なさい」と言われました。驚いたでしょうね。人陰に隠れるようにして生きている彼にとって、真ん中に出ることにはためらいがあったかもしれません。
でも、イエス様のあたたかい眼差しにふれて、この方はほかの人とは違う。自分のことをひとりの価値ある人間として認めてくださっていると感じて出て行ったのでしょう。

イエス様が「手を伸ばしなさい」と言うと、彼の手はもとどおりになりました。

創世記1:26には、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」と書かれています。神様は人を霊なるものとして、特別な存在として造られました。

イエス様が右手の麻痺した人を会衆の真ん中に出るように言われてから癒されたのは、その人の存在を肯定しているということであり、律法学者やパリサイ人が持っている『人を比較のうえで判断する価値観』が間違っていることを示すためであったと聞いて、感動で心が震えました。


同じクラスの子どもに「あなたがいなければ、みんな幸せになる」とメールを送られ、リストカットをした子どもがいたそうです。
同じクラスのひとりがいなくなれば、みんなが幸せになるなんて嘘です。
ひとりの人がいなくなって幸せと感じる人がいるのなら、その人の心はなんと歪んでいるのでしょう。そして、それは本当の幸せではありません。

聖書には「あなたがたは世界の光です。(マタイ5:14)」と書かれています。

『あなたがいないと世界は光を失う。わたしはあなたの存在を喜ぶ』
と、神様はひとりひとりに言っておられます。
posted by 土筆文香 at 21:58| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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