2013年07月13日

危機がチャンスに

今日は子ども家庭集会の奉仕でMちゃんの家に出かけました。

現在子ども家庭集会は2か所で行っていますが、奉仕者がぎりぎりの人数でした。
今回はI先生の都合が悪くなり、さらに2つの家庭集会の日時が重なったため、危機的状況に陥り途方にくれました。

今まで教師会で何度か子ども家庭集会の奉仕してくれる人を求めたのですが、皆、土曜日は忙しいようで、よい返事をいただけませんでした。

今回は、どうしても必要なので必死に祈りました。そして、先月の教師会のときに子ども家庭集会の働きについて熱く語り、奉仕者を募集しました。

そうしたら、2人の青年女子が申し出てくださいました。さらに水曜礼拝で子ども家庭集会の話をすると、友人が奉仕してもいいと言ってくれました。

なんという恵みでしょう!
危機がチャンスに変えられたのです。

そして、今日は2人ずつ2か所の場所に遣わされていきました。


子ども家庭集会は16年前から始められましたが、教会でCEF(日本児童福音伝道協会)の学びを受けたことがきっかけとなっています。

教会学校に通えない子どもたちにキリストを伝える働きとして、小学生のいるクリスチャン家庭を開放し、その子どもの友達を招いて行います。教会から先生や奉仕者が訪れて、聖書のお話をし、ゲームをして遊ぶのです。

最初、我が家で行いました。長女が5年生の時でしたが、同じマンションの小学生が10人近く集まってきました。
長女が中学生になってからは、小学生のいる家にわたしが先生と一緒に出かけて行って奉仕しました。

子ども家庭集会には色々な名前がつけられました。
わくわく子どもクラブ、はこぶねクラブ、ピジョットクラブ、おいでよクラブ、きらりんクラブ、ぽんぽこクラブなどユニークな名前です。

一度も教会に行ったことのない子どもは、天地万物を造られた神様のこと、イエス様のことを子ども家庭集会の場で初めて聞くのです。

その中で教会学校につながった子どもはわずかですが、心の中に神さまの言葉の種が植えられたことは確かです。その子どもたちがいつか信仰をもつことができるように日々祈っています。

岡山におられるM先生、子ども家庭集会は継続していますよ。そしてM先生の蒔いた種はしっかり育っていますよ!

posted by 土筆文香 at 19:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月08日

眠れない夜は

梅雨明けとともに猛暑。体にこたえる暑さです。こんなとき、自転車がパンクしてしまいました。近くのホームセンターに持っていくと、そこではもう修理をしてないというので、歩いて25分のイオンに自転車を押しながら行ってきました。熱中症予防に塩飴をなめ、水分補給しながら行ったのですが、あまりの暑さに頭はクラクラ、着いたときは足がガクガクしていました。

昨日、一昨日と暑さで睡眠不足です。
眠れない夜に書いた詩です。


眠れない夜

眠れない夜
心配事がどんどんふくらんでいく
起こるはずのないことが次々起こる想像をして
ますます深みにはまっていく
これじゃいけない
考え過ぎちゃいけない
早く寝よう
明日の体力がなくなってしまう

このまま朝になったらどうしよう
寝ようと思えば思うほど
目が冴え、まとまりのない思いが頭の中をかけめぐる

「だれか助けて」
無意識に手を組んで叫んでいた
「心配しなくていい
必要な眠りは後に必ず満たされるから、だいじょうぶ」
語りかける声を聞いてほっとする
いつの間にか夢の世界に入っていた


世界中に眠れなくて苦しんでいる人は、どれだけたくさんいることでしょう
眠れない夜は、その人たちのために祈ることにしました。時間はたっぷりあるのですから。


posted by 土筆文香 at 17:25| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月04日

すべきこととしたいこと

先日の礼拝で使徒の働き20:22-38の箇所からのメッセージを聞きました。


パウロは「いま、私は心縛られて、エルサレムに上る途中です」と言いました。
わたしたちは義理人情に、家族に、欲望に、怒り、妬みに、面子に縛られて行動することがあります。
でも、パウロの場合は違っていました。パウロは神様の期待に縛られていたのです。

エルサレムで飢饉があったので、義援金や救援物資を集めました。パウロはバルナバと共にそれをエルサレムに持っていくことを示されました。それは困難な道のりでした。迫害を受ける危険がありました。でも、エルサレムに行くことを神が期待されているから行きたいと思ったのです。

人が行動するときは、次の3つの動機があるそうです。
@願望(したいからする)
A義務(人としてなすべきことだからする)
B強制(無理やりさせられる)

「すべきことと、したいことが違っているときは辛いけれど、すべきこととしたいことが一致している人は幸いな人生だ」
と牧師先生が言われまし

わたしの場合はどうでしょうか? 10年ぐらい前にもこの言葉を聞いた気がします。そのときは、すべきことがはっきりわからなかったので、何とも言えないと思っていました。

でも、今はすべきことがはっきりしています。あかし文章を書くことです。あかし文章とは、キリストをあかしするエッセイ、小説そして童話です。わたしは書きたいと思っているのですから、なんと幸いな人生を歩んでいることでしょう。

パウロは「走るべき行程を走り尽くし」と書いています。
たいていの人は人生の終わりに過去の過ちを悔やんだりしますが、パウロは自分の人生でいっさいの悔いがないように書いています。


果たして人生の終わりにこのように胸を張って言うことができるでしょうか……。

パウロがこのように言うことができたのは、動機に関して良心にやましいことがないからだと聞いて目が開かれたような思いがしました。

人は完全ではないので失敗したり、結果的に人の心を傷つけてしまったり、誤解されたりします。でも、結果は気にしないで、動機を吟味することが大切なのですね。
posted by 土筆文香 at 16:20| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月01日

食べるにも飲むにも

夫の健康診断の結果が要経過観察だったので、先日近所の医院で一緒に食事指導を受けてきました。

血圧もコレステロール値も血糖値も正常範囲を少し超えており、薬を飲むほどではないけれど、注意が必要ということでした。

わたしは、自分自身の体が弱いので、食べ物には気を使っていました。揚げ物はめったに作らず、鶏肉は皮をと脂肪を取り除き、油分、塩分控えめにしていました。でも、意外なところでよくない点がみつかりました。

朝、ヨーグルトに果物をたくさん入れて食べ、夫はさらにコップ1杯の牛乳と麦茶を飲んでいました。そうしたら、乳製品のとりすぎなので、牛乳を半分にするように言われました。

TVでは牛乳が血圧を下げると言っていたのですが……。
さらに夕食後、果物を食べていると言ったら、果物の食べすぎですと言われました。

体によいと思われるものでも、とりすぎはだめなようです。一日の分量の目安が書かれた表をもらってきました。

それでも、食べてはいけないものはなかったのでほっとしました。1週間のトータルで考えて、とりすぎたときは、翌日調節すればいいというので神経質になる必要もなさそうです。

夫は今までどこも悪いところがなかったので、食べるものに全く気を使わなかったのですが、気をつけるようになってよかったです。
今までは、パンにジャムをたっぷり塗り、おひたしやかまぼこにたっぷり醤油をかけ、間食に甘いものを食べ、外食するときは脂っこいものを好んで食べていたのです。

これではわたしがいくらヘルシー料理を作っても、塩分、糖分、油分のとりすぎになってしまいます。毎日の食事の大切さを思わされました。

聖書には自分のからだは神から受けた聖霊の宮で、もはや自分自身の物ではないと書かれています。自分の体だからどうでもいいと思ってはいけないのですね。

聖書の言葉
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(Tコリント6:20)」

posted by 土筆文香 at 17:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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