2013年08月06日

非常識な恵み

教会で3日に結婚式があり、今日はお葬式が執り行われました。
教会のH先生のお父様が86歳で召されたのです。お父様は、今年の1月に洗礼を受けたばかりでした。

葬儀のメッセージはマタイ20:1-15ぶどう園の農夫のたとえからでした。紹介させていただきます。
聖書に書かれていることを要約すると、次のようになります。


ぶどう園の主人が、労務者を雇うために出かけました。1日1デナリ(7千円〜1万円)の約束で、早朝に出かけて何人か雇い、9時ごろにも出かけて雇い、12時と3時と5時ごろにも出かけて雇いました。

仕事の終わる6時になったとき、遅く来た人から賃金を払っていきました。みんな1デナリずつです。早朝から働いていた人たちは主人に文句を言いました。最後に来た人は、1時間しか働かなかったのに同じ1デナリなのかと不満を漏らします。

主人は最初に1デナリと約束し、それを守ったのだから不当なことはしていないと主張し、「最後の人にもあなたと同じだけ上げたいのです」と言います。


このたとえは、主人が神様で労務者は私たちのことをさし示しています。
生まれた時から人との比較の中で育つと、このような主人のやり方を非常識だと思います。
早朝から来て働いた人というのは、幼いころからキリストを信じた人。夕方に来た人は晩年に信じた人です。

神様はいつ信じるようになったかおかまいなしに気前よく皆に1デナリ与えてくださいます。
1デナリとは、罪の赦しのことで、信じる者には誰にでも与えられるものです。
罪の大きさには関係なく、どんな罪も赦されます。

また、1デナリとは、死の恐怖に打ち勝つという意味もあります。
聖書には「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)」と書かれています。
非常識なまでな神の大きな恵みが与えられるのです。


わたしは最初ぶどう園の農夫のたとえを読んだとき、ぶどう園の主人は不公平だと思いました。もしわたしが9時ごろから働いた人だとしたら、主人が5時から働いた人にも1デナリ渡しているのをみて文句を言ったでしょう。
でも5時から働いた人は、5時まで仕事がなく、それまで不安だったのです。今日の食事や寝る場所すらなかったのかもしれません。雇ってもらえてどれだけ嬉しかったでしょう。
長い時間不安を抱えていた人を思いやって主人は同じ恵みをくださいました。
人との比較ではなく、神様が自分にしてくださったことを思うと、このたとえ話の言おうとしていることがわかってきます。非常識なまでな神の大きな恵みに感謝しました。

H先生のお父様は晩年にキリストを信じました。でも信じてから召されるまで、とても平安だったそうです。死の恐怖から解放されていたからでしょう。
地上での別れはつらいですが、確かに言えることは、キリストを信じて召された人は必ず天国にいくということです。
お母様はじめ、ご遺族の方々に平安がありますように。
posted by 土筆文香 at 16:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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