2013年08月09日

武と愛の人 新島八重の生涯

NHK大河ドラマ「八重の桜」を毎週見ています。テレビはほとんど見ないわたしですが、これだけは最終回まで欠かさず見たいと思っています。
会津戦争の時、女性ながらスペンサー銃を持って戦った八重が、のちに新島襄と結婚してクリスチャンになります。キリストを信じるときの八重の心の動きを知りたいと思いました。

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の先輩が書かれた「武と愛の人 新島八重の生涯」(新堀邦司著:里文出版)の感想文を読んだ後、この本を読みたいとずっと思っていました。
図書館になかったのでリクエストすると、取り寄せてくださり、ようやく手にすることができました。

6月にJCP合宿で群馬県安中を訪れたとき、新島襄記念会堂で「テレビで放映されているドラマは実際と異なることが多い」という話を聞き、どの部分が本当でどの部分が違うのか知りたいと思いました。
幕末のまだ男尊女卑の精神が根強く残っている時代に女性が銃を持って戦ったのは本当なのか……と思いましたが、それは事実だったようです。
尚之助が八重を離縁した理由は、推測の域を出ないようです。

新島襄と結婚するいきさつについては、まだドラマでは放映されていませんが、この本では、八重自身が書き残したものから、出会いの時のエピソードが紹介されています。

暑い日に八重が井戸の上に板戸を渡してその上で裁縫をしていたそうです。そのとき新島襄がやってきて彼女を見、驚きました。板戸が折れたら井戸の中に落ちてしまうほど危険だったからです。それなのに平然と裁縫をしている大坦な姿に惹かれたのかもしれません。槇村正直が薦めたこともあって、結婚に至ったと書かれています。ドラマではどのように脚色されるか楽しみです。

八重は、兄覚馬のすすめで結婚前から聖書の勉強をしていました。まだキリスト教が解禁される前でした。
八重がキリストをどのようにして信じるようになったか……その内面的変化について詳しくは書かれていません。

戊辰戦争による魂の傷は癒されたのでしょうか。
父や弟の命を奪った薩長への憎しみの問題はどうなったのでしょうか。
会津藩武士の子弟として厳しい精神教育を受けてきた八重です。自分は清く正しく生きていたと思っていたのに、人はみな罪人であるという聖書の言葉を読んでどう思ったのでしょう。葛藤があったことが想像できます。

襄は八重の気持ちをよく理解して魂のケアに心を砕き、励まし続けました。
罪のことは、八重が神と人との問題だと気づいたとき、暗雲が晴れたように思ったと記されています。

襄は、八重のことを「ハンサムウーマン」と称しています。それは「美しい行いをする人」という意味です。ふたりの結婚生活は幸せだったようです。

八重は牧師夫人となったのですが、最初は、薩長出身の生徒は夕食に招かなかったそうです。何年もたってから招くようになったというのは、長い時間をかけて傷がいやされ、憎しみが愛へと変えられていったことを意味すると思います。

最愛の夫、襄は、40代半ばで病に倒れ、召されてしまいます。その後八重は再婚もせずに86歳まで生きました。日清戦争が始まったとき、八重は日赤京都支部戦時救護員として看護婦を率いて負傷兵の看護にあったっています。50歳になろうとしていた八重は若い看護婦に負けないくらい元気に働いたそうです。さらに日露戦争のときは60歳になっていたのですが、やはり看護活動を行っています。
会津戦争で傷つき、死んでいった人たちのことを思うと、いてもたってもいられなかったそうです。

周囲の人の言葉に惑わされず、古い慣習も打ち砕いていく強い女性ですが、同時にきめこまやかな心と信仰による愛をもちあわせた八重の魅力が伝わってきました。


日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。ここをクリックしてご覧ください。

posted by 土筆文香 at 15:19| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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