2013年09月20日

失敗しても

ときどき過去の失敗を思い出して心がチクチク痛むことがあります。どんなに後悔してもやり直すことはできず、なかったことにすることはできないとわかっていても、心の疼きは消えません。

『失敗は誰にでもある』『失敗にとらわれてなはいけない』と思っても忘れ去ることはできません。

今日はOさん宅での家庭集会で創世記12:10-20からアブラハムの失敗について学びました。

「すべて信じる者の父」と呼ばれるアブラハムは、同じような失敗を2回もしてしまいます。信仰のお手本になるような人の失敗があえて聖書に書かれていることは驚きです。
アブラハムは神様によって約束されたカナンにやってきますが、その地が激しい飢饉に見舞われました。それで思い悩んだ末、エジプトに行きます。

エジプト人が妻のサラが美しいのを見て、夫の自分は殺されるかもしれないと思い、サラを妹だと偽りました。
サラはエジプトの王パロの目に留まり、妻として召し入れられてしまいました。でも、パロはサラがアブラハムの妻だと知って返してくれました。神様が守ってくださったのです。
アブラハムはそのあと祭壇を築いて神様に祈りました。

アブラハムがサラを妹と偽ったことは、確かに罪深い行為でした。でも、それが失敗だったかどうかが大事なポイントではないと聞きました。
失敗をしてしまったアブラハムが神様に顔を向けて祈ったことが重要なのです。その後、アブラハムがまた同じような失敗をしてしまいますが、再び神の御手が働いて守られます。
そしてまたアブラハムは神に顔を向けて祈るのです。

信仰を持っていてもいなくても人間としての本性は同じです。すばらしい信仰者と呼ばれる人でも失敗します。でも、信仰者は帰る場所を持っています。
「失敗しても失敗しても神様に顔を上げることをやめないことが信仰者としての原点です」と聞いて、失敗ばかりしているわたしは大いに慰められました。

posted by 土筆文香 at 21:26| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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