2013年10月14日

幼子のように

教会学校小学科の2年生クラスで「お祈りしてほしいこと」を書かせました。
「スポーツ選手になれるように」「サッカーの試合に勝てるように」など自分の願いを書いている子どもが多かったです。

その中で「罪をおかさないように」と書いている子どもがいて、驚きました。
罪がどういうことか知っていて、罪を犯さないように祈って欲しいというのです。なんとすばらしい信仰なのでしょう。
罪という字はちゃんと漢字で書かれていました。

「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」という詩編119:11の言葉を思い出しました。


礼拝メッセージは、マルコ10:13-16より語られました。イエス様のもとに行こうとしている幼子(おさなご)を弟子たちが止めたとき、イエス様が憤ったという箇所です。

聖書には「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。(マルコ10:13)」と書かれています。

イエス様が子どもたちの頭の上に手を置いて、祝福を祈ってもらおうとしているのだと思っていますから、そこに『さわっていただこうとして』と書かれていることを読み落としていました。

メッセージを聞いて、さわるという行為に注目しました。すべての動物はさわってもらうのが好きなのだそうです。
確かにそうですね。人慣れしない獣でも、親に舐めてもらうことを喜びます。

親が子どもの頭をなで、抱きしめるだけで、子どもは、言葉がなくても愛されていることを知ります。

子どもたちは、イエス様が大好きです。せっかくやってきたのに弟子たちはなぜ止めたのでしょう。

イエス様が休む暇がないほど多忙なので、子どもになどかまっている暇はないんだと思ったのかもしれません。
当時、子どもは今の時代よりずっと軽く扱われていました。


子どもたちを追い返してしまおうとする弟子たちに向かってイエス様は憤って言われます。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです(マルコ10:14)」

わたしのもとに来させなさいとは、『いつも近くにおらせなさい』という意味だそうです。

「そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。(10:16)」

この箇所を読むと胸が熱くなります。
自然にわたしは幼子になっています。


飼い犬が、24時間主人の一挙一動を見ているように、神様も24時間私たちを見ていてくださると聞いて、嬉しくなりました。

神様はうっかり目を離したり、まどろんだりすることがないのです。
「(主は)寝ずの番をされた(出エジプト12:42)」

posted by 土筆文香 at 16:39| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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