2014年03月28日

新しいいのちの誕生

今日の18時48分、2人目の孫が生まれました。予定日5日過ぎても何の連絡もないので、心配していました。予定日より2週間前後するのは正常の範囲だと聞いてはいても、赤ちゃんが大きく育ちすぎてしまうのではないか……難産になるのではないかと思ってしまいます。

今日は教会で家庭集会が行われ、出席しましたが、携帯を手元に置いてそわそわしていました。
帰宅して夕方になったとき、なんとなく予感がして息子の携帯に電話すると、いきなり「7時ごろ生まれるよ」と言います。
息子は消費税増税前で仕事が忙しく、職場と病院を行ったり来たりしているそうです。

「生まれたらすぐ知らせてと」言って電話を切ってから、出産の無事を祈りました。それから約2時間後に生まれたと連絡がありました。
あらかじめわかっていましたが、男の子です。

陣痛がいつ始まったのかわかりませんが、夜中にならなくてよかったです。息子とヒックンは立ち会えたそうです。

ヒックンはどう感じたのでしょうか。ショックを受けたでしょうか。それとも感激したでしょうか。
明日からヒックンが来て、しばらく泊まります。

桜川の桜が今日開花しました。
posted by 土筆文香 at 21:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月23日

疲れた人、重荷を負っている人

今日は息子夫婦の第2子の予定日です。まだ連絡はありません。予定日より早く生まれるのだろうと思って、今日か明日かと待っていると、期待と不安でいっぱいになってドキドキしてきます。(わたしが産むわけではないのですが……)

立ち合い出産で、パパとヒックンに見てもらうと言っていましたが、タイミングよく見ることができるのでしょうか……。
産まれたら我が家でヒックンを預かることになっているので、主人は先週から仕事を休んで待機しています。
わたしにできることは出産の無事を祈るだけです。生まれる日は神様が定めてくださいます。


今日の礼拝メッセージは、2年間韓国で宣教師として働いて帰国されたA先生がお話ししてくださいました。聖書箇所はマタイ11:28〜30でした。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます(マタイ11:28)」

わたしというのはイエス様です。イエス様のところへ行けば疲れが癒され、重荷をおろすことができるといっているのです。


わたしは努力することが一番大切だと教えられて育ちました。かつては努力して何かを勝ち取っていくことが奨励される社会でした。今もその傾向はありますね。
わたしが子どものころはそれが顕著で、漫画でも根性ものが流行っていました。

わたしは体が弱かったので、頑張りがききませんでした。高校生の時、いつもは10時に寝ているのに試験前に12時近くまで起きて勉強したら、試験の当日熱を出して欠席する羽目になり、その日の試験は0点にされてしまいました。(診断書を出してもだめでした)

まとめて勉強するのが無理なら、日ごろから努力すればいいんだと思って、単語カードにびっしりと覚えることを書きこみ、常に持ち歩いてトイレの中ででも覚えていました。そのかいあって高校ではいい成績をとることができました。
 
幼稚園教諭を目指して、保育科の短大でも一生懸命努力していい成績をとったのですが、幼稚園に勤めたら、学校の勉強がほとんど役に立たないことを知り、愕然としました。自分の無力さをいやというほど知らされました。

勤めて2年ほどたったとき、重荷で押しつぶされそうになっていました。疲れ果て、よろよろと教会の門をくぐったのでした。
聖書の言葉通り、イエス様は休ませてくださいました。それまで何でも自分の力で解決しなくてはと緊張していましたが、イエス様に頼ることにっよって緊張を緩めることができました。すると、心からほっとできました。


「休ませる」という言葉は、竪琴の弦をゆるめるところからきているそうです。「はりつめ、切れそうになっていた弦をゆるめると、重荷をおろすことができ、緊張がほどけるのです。
そして魂の深いところに休息が与えられます」
とA先生が言われました。

イエス様はわたしたちを休ませてくださるだけではありません。
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです(マタイ11:29-30)」

休息を与えた後、イエス様はわたしたちを成長へと導いてくださいます。
くびきとは、牛や馬を制するのに使われた物です。体に合ったくびきをつけられると、重荷が軽くなります。

イエス様は張りつめた弦のようになった魂を休ませ、美しい音を奏でられるようにしてくださいます。くびきを負ってイエス様から学ぶことによって、わたしたちは成長させていただける
ことを教えていただき、心から感謝しました。
posted by 土筆文香 at 17:31| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

空っぽ

友人から「小説を書くときに大切にしている事はなんですか? 教えて下さい」と問いかけがありました。

「小説でも童話でもエッセイでも同じですが、作品が神様の栄光を顕すことができるようにとひたすら祈って書いています。」と答えました。
大切にしていることはこのように祈ることです。自分が認められたいために書くのではないことをはっきりさせなければなりません。

書く前は空っぽなんです。乏しい想像力、拙い文章表現力。持っているものは何もないのです。
空っぽの手を開いて書く力を与えてくださいと祈るのです。

そうしたら、神様は満たしてくださいます。
空っぽのほうが神様からたくさんいただけることを、マザーテレサの本から教えられました。

                                             
マザーテレサの言葉

与える物が何もないときは
神に、その「無そのもの」を差し出しましょう。
できるかぎり自分が空っぽでいられるように。
そうすれば、神がわたしたちを満たしてくださいます。
たとえ神さまでも、
もうすでにいっぱいになっているものを、
満たすことはできません。
神は決してご自分を、
わたしたちに押し付けたりなさいません。
あなたがたは、神が与えてくださった愛で、
この世界を満たしているのです。
posted by 土筆文香 at 21:00| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月17日

つらいとき。不安でたまらないとき

昨日の礼拝では使徒の働きからメッセージを聞きました。使徒の働きの中で神様がパウロに語りかけたことが4回書かれています。

1回目は、パウロがクリスチャンを迫害しているとき、イエス様の声を聞いたのです。その声を聞いてパウロは回心しました。

2回目は、エルサレムで途方に暮れ『主よ、私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、「行きなさい」という神様の声を聞きました。
神様はパウロを異邦人伝道に遣わすと言われました。

どうしたらよいかわからないとき、生きる意味がわからないとき、神様に問いかけることが大切なのだと思いました。

3回目はコリントの町で説教をしたときです。パウロは妨害を受けました。困難の中で意気消沈している夜、神様の語りかけを聞きました
「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。……(使徒18:9-10)」


4回目はエルサレムに帰ってきたとき、母国のユダヤ人に理解されず、誤解され仲間の裏切りにもあい、苦しみました。絶体絶命のとき「勇気を出しなさい(使徒23:11)」と語りかけられました。

パウロに何回も語りかけてくださった神様は、今も生きておられ、わたしたちに語りかけてくださいます。

わたしはつらいとき、神様にそのつらさを訴えます。もちろん神様は、わたしのつらさをわかっておられるのですが……。それでも泣きながら、思いのすべてをぶつけることがあります。
不安でたまらないときも、「神様、不信仰なわたしを赦して下さい。けれども心が騒ぎ、心配でならないのです。どうしたらいいのですか?」と祈ります。

そんなとき必ず神様が応えてくださいます。
「だいじょうぶだよ。わたしはあなたと共にいるから」という語りかけが聞こえてきます。音声として聞こえるのではなく、心に直接届くのです。すると、今まで不安と恐れでどうしようもなかったことが嘘のように、平安が訪れます。

それは、寒さに震えているとき温かな飲み物を飲んで、最初は口の中、次に喉、胃、そして全身がじんわりと温まるように気持ちがリラックスして、これ以上の安らぎはないと思えるほどになるのです。この平安は、神様の下さる嬉しい贈り物です。


「わたし(キリスト)は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)」

「もし、眠れない夜があるなら、神が祈れと招いておられるのです。」

牧師先生が紹介してくださった三浦綾子さんの言葉です。

posted by 土筆文香 at 21:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

「殺人者の涙」を読んで

明日は児童文学者協会の茨城支部3月例会です。今回の課題本は「殺人者の涙」アン=ロール・ボンドゥ作 伏見操訳 小峰書店です。

チリの最南端、さいはての地に建つ一軒の家にアンヘルという名の殺人者がやってきて、そこで暮らしている夫婦を殺してしまいます。子どものパオロは殺さずに、一緒に暮らし始めます。

最初の殺人のシーンがショッキングすぎて、なかなか感情移入できませんでした。
寒々とした気持ちで読んでいましたが、しだいに物語に引き込まれました。

アンヘルはパオロと暮らすうちに変わっていきます。パオロに愛情を抱くようになるのです。
一方パオロは両親を殺したアンヘルのことを憎みもせず、その事実をしっかり受け止めています。

最初、パオロがなぜ両親を殺したアンヘルを恨まなかったのか不思議に思いましたが、そこは誰一人やってこないような土地です。アンヘルがいないと生きていけなかったから、パオロには選択枝がなかったのだと気づいて納得しました。

しばらくして、ルイスという旅人がやってきて隣で暮らし始めます。ルイスはパオロとアンヘルに文字をもたらします。
その後旅に出て、アンヘルがかつて殺した家族の生き残り、きこりのイカルドと出会います。イカルドは音楽をもたらすのです。

アンヘルはパオロという愛する存在を得、文化や芸術に触れて、すっかり変えられました。でも、犯した罪は消えず、結局死刑になってしまいます。
死刑制度廃止のことが作者プロフィールに書かれていましたが、どんなに重い罪を犯した人でも人は変わると訴えたかったのでしょう。

確かに人は変わりうるものです。
しかし、他者への愛と文化、芸術だけでは足りない気がします。
アンヘルに心からの罪の悔い改めがあったでしょうか。

けれども、イエス・キリストを信じたら、人は根底から変えられます。キリストにあって、とりかえしのつかない罪はないからです。

posted by 土筆文香 at 17:16| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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