2014年04月30日

一大事

昨日、インターネットエクスプローラー(IE)が危険だというニュースが入りました。一大事だと思いました。
IEとはインターネットのサイトを閲覧するソフトで、PCを購入するとたいていこのソフトがついてきます。(水色のeに黄色の輪がかかっているようなマーク)

今まで何の疑いもなしにIEからネット検索をしていたのですが、これまででも絶対安心というわけではなかったようです。

今、IEを使っているとどんな危険があるかというと、正規のウェブサイトが改ざんされる恐れや、使用者をだまして悪意のあるウェブサイトを見させて、遠隔で操作されてしまったり、データを流出させることがあるそうです。

米国のマイクロソフト社は、現在IEが危険なので、IE以外の閲覧ソフトを使うように呼びかけているそうです。
2週間ぐらいすると、マイクロソフト社から修正プログラムが出されるので、それまで閲覧しなければいいのですが、Gメールも使っているのでそういうわけにいきません。

IE以外の閲覧ソフトとは? IEが使えないなら、それを調べることもできません。
教会で何人かの方に聞きました。そのニュースのことを知らない人がほとんどでした。

Firefoxかgoogle chromeかoperaをダウンロードして使うと良いと言われましたが、ダウンロードするにもIEを使わないとできません。
スマホでダウンロードして、USBに保存し、USBからインストールできると聞きましたが、スマホを持っていません。
GoogleのHPなら大丈夫かもしれないと思い、IEで開き、google chromeを無事ダウンロードすることができました。

このことを一大事と思うのは、日本クリスチャン・ペンクラブのHPを作成しているからです。
また、ペンクラブでほかの方から預かった大切な原稿を保管しているので、PCがウイルス感染すると、大変なことになるからです。外付けハードディスクにバックアップはとっていますが、流出してしまったら困ります。

企業や組織なら、ものすごい被害が出ることでしょう。
どうか、ウイルスが広がりませんように。
posted by 土筆文香 at 17:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

ピースチャイルド

昨日は聖餐礼拝でした。
神との和解についてのメッセージが語られました。

『神との和解』と聞くと、神に敵対しているわけでもないのになぜ和解が必要なの?と思われる方がいるでしょう。
『キリストを信じるということは、キリストを信頼することです。キリストを敬わないことは、侮辱していることです。創造者を礼拝しないことは不敬にあたります。神から期待されているのに従わないのは不従順です』と聞いてドキッとしました。

信頼するとは、他のものを頼りにしないということです。少しも疑いの心を持たないということです。わたしは心からキリストを信頼しているのでしょうか。礼拝を捧げていても真心を持って捧げているでしょうか。かたちだけになっていないでしょうか。神様に対していつも従順だったでしょうか……そんな自問をすると、足元がくずれていくようです。

『神を神として愛していないことは的外れなことで、それは罪です』と牧師先生が言われるのを聞いて、自分は罪人なのだと改めて思いました。

聖書には「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず……(ローマ3:23)」と書かれています。
それでは、どうしたらいいのでしょう。

神様と和解する必要があります。でも、そのためにわたしたちがしなければならないことは何もありません。
イエスキリストによって、すでに和解が成立しているからです。

1960年代、宣教師のドン・リチャードソンが奥さんと共にパプアニューギニアの地へ行ったときのことが紹介されました。

伝道は難しく、リチャードソンが十字架のことを話すと、現地の人たちは笑ったそうです。身代わりの死は愚かだという価値観があったからです。

部族同士の争いがあって、それが何年も続きました。ようやく部族間での和解が成立するとき、サウィ族にタロップ・ティムという習慣があることに気づき、ドン・リチャードソンは驚きました。

タロップ・ティムとは『和解の子』という意味で、和解のしるしとして、生まれたばかりの子どもを互いの酋長に渡して交換する儀式です。その子どもが生きている間は争いをしないのだそうです。

このことを糸口として、ドンは神が永遠の和解のいけにえとして送ってくださったイエス・キリストを伝えていきました。すると、ようやく人々の目が開かれていったのです。

「ピース・チャイルド」という題名の映画になっているそうです。

赤ちゃんを差し出すとは、その母親は引き裂かれるような思いだったでしょう。お互いに赤子を差し出し、敵だった部族の赤ちゃんを大切に育てることによって平和が保たれるのですから、まさにピース・チャイルドですね。

神さまは、和解のためにひとり子イエスのいのちを差し出してくださいました。こちらからは何も差し出さないのに……。

「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。(Uコリント5:18)」
posted by 土筆文香 at 20:31| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月22日

その指先から

一昨日はイースターでした。イースターとは、救い主イエス・キリストの復活を祝う日です。

イエス様の復活を信じない人が多いです。証拠がないと言います。でも、復活しなかった証拠もないのです。わたしは信じます。確かにイエス様は復活されました。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)」

礼拝メッセージを聞いていたら、なぜかわかりませんがイエス様の指先がイメージされました。

その指先から

その指先が形造り
その指先から生まれ
その指先で守られ
その指先に愛(め)でられ
その指先に導かれてここまで歩いてきた

右へ左へ動く指先
右へ動くとき、日は照り輝き
左へ動くとき、嵐がやってくる
犬が飼い主のようすを伺って片時も目を離さないように
いつでもじっと見つめていたい

指先から落ちる雫
ドロップのように甘い雫
吐き出してしまいそうな苦い雫
どんな雫でも一粒もこぼさずに喜んで受けたい
主の指先からこぼれるものはすべてよいものだから


posted by 土筆文香 at 20:15| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

ほかの重荷を負わせない

この数日、捜し物ばかりしています。ひとつが見つかると、別のひとつがなくなるといった具合です。今やったことを忘れて同じことを繰り返してしたり、何度も同じことを言ったり。
ものすごい勢いで頭が老化していくようで、恐ろしいです。忘備録を作っていますが、それを見ていても記憶から消えてしまうのはなぜでしょう……。


今日水曜礼拝で聞いたこともすっかり忘れてしまいそうなので、ポイントだけ書き留めておくことにします。
新約聖書の黙示録は、一世紀の末にキリスト教迫害の中にあってヨハネがパトモス島で書いた手紙です。
約2000年前に書かれたものですが、当時の教会の人たちに対してだけでなく、終末に直面する教会に対して書かれ、同時に今を生きるわたしたちに向けられてもいるそうです。

ヨハネはアジヤにある7つの教会に手紙を書きました。
その中でテアテラの教会へあてた手紙について学びました。
「また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる(黙示録2:18)」

『燃える炎のような目』『光り輝くしんちゅうのような足』は、イエス様のことを示しています。そのまま想像するとちょっと怖いですが、外見を表しているわけではないのです。

目は、イエス様がテアテラ教会の長所と短所を見ていることを意味しています。
足とは何かを行っていく力です。イエス様が行動されたように教会は悔い改めたり、主の業を守ることを期待されているのです。

テアテラ教会には4種類の人がいました。@イゼベルと呼ばれる女預言者。Aイゼベルの子どもたち。Bイゼベルと姦淫を行う者たち。Cイゼベルの教えを受け入れない人たちです。

イゼベルは旧約聖書に出てきます。北イスラエルの悪王アハブの王妃で、バアル礼拝をイスラエルに持ち込み、民を惑わせた人です。
女預言者にその名がついているということは、テアテラ教会で人々を惑わせていることを示しています。イゼベルはキリスト教信仰を持ちながらも同時にこの世の価値観や世俗主義を容易に受け入れました。

主は悔い改める機会を与えたのですが、イゼベルは悔い改めようとしませんでした。

Aのイゼベルの子どもたちとは、子どもではなく、イゼベルの教えの信奉者たちのことです。この人たちもイゼベル同様悔い改めようとしませんでした。

Bのイゼベルと姦淫を行う人たちとは、偽りの教えに惑わされ、世と妥協し、罪に陥った人たちのことです。
主はこの人たちにも悔い改めを迫ります。

Cのイゼベルの教えを受け入れない人たちというのは、女預言者イゼベルの誘惑に屈せず、彼女の教えを受け入れようとしなかった人たちのことです。
世俗の価値観が根強く残る商業都市テアテラにおいて、純粋な神への信仰を貫き通した人々がいたのです。

「しかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。(黙示録2:24)」

「ほかの重荷を負わせない」と書かれているところに心打たれました。

「わたしはあなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。(黙示録2:19)」
テアテラに対する主からの賞賛です。

テアテラ教会はイゼベルやその信奉者たちが大きな罪を犯していましたが、その中に純粋な神への信仰を貫き通した人々がいたのです。その人たちがいたからこそ賞賛され、主からの励ましと約束の言葉が届けられたのですね。


また、励ましの言葉として「ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい(黙示録2:25)」と書かれています。

持っているものとは
『主をあかしし、福音を伝え、教会と隣人に仕え、愛と信頼を抱き、苦しみや理不尽に耐え、神の深みに達することを求めて生きること。』です。

わたしたちもそれを持っているのだと知らされて嬉しくなりました。理不尽や苦しみに耐えるのはつらく、何もかも投げ出したくなってしまうことがありますが、イエス様がしっかりと持っていなさいと言われるのですから、そうしたいと心から願いました。
posted by 土筆文香 at 20:26| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

すばらしい宝物

今日は子ども家庭集会でした。月に一度、土曜日の午後に教会学校に来ているMちゃんの家に友達が集まってきます。I先生とわたし、ときには落語をしてくださる長老、教会学校の若い先生も訪れます。ゲームをしたり、聖書のお話を聞き、賛美をして楽しい時間を過ごしています。ゲームというのはテレビゲームではありません。ピンポン玉やペットボトル、トランプ、ハンカチなどを使ってする集団ゲームです。毎回考えて準備していきます。

子ども家庭集会はふだん教会学校に来ていない子どももやってきます。

今日はわたしがお話をしました。「すばらしい真珠を見つけた人(高見澤潤子著)教文館」という絵本を読みました。その絵本はイエス様のたとえ話をもとに書かれています。商人がすばらしい真珠を捜して旅をし、みつかったとき、全財産を売り払って真珠を手に入れたという内容です。

絵本を読んだあとで以下のようなお話をしました。

あなたは宝物を持っていますか? どんな宝物ですか?
このお話は、イエス様のたとえばなしです。イエス様は神様のこと、神様の国のことを人々に話すとき、わかりやすいようにたとえ話をされました。
財産すべてを投げ打ってでも手に入れたかった真珠とは何のことでしょう……。

わたしたちの心には罪があります。罪とは嘘をついたり、友達に意地悪してしまったり、あんな人いなくなればいいのにと心の中で思ったりすることです。罪をなくしたいと思っても、自分の力ではなくすことはできません。このままでは罪のために滅びてしまいます。

でも、神様はご自分のひとり子を地上に生まれさせてくださいました。それがイエス様です。イエス様を信じれば罪が赦されるのです。

どうして信じるだけで罪赦されるかというと、イエス様が十字架にかかってくださったからです。わたしたちの罪に対する罰をわたしたちに代わって受けてくださったのです。

イエス様は十字架で死にました。でも、三日目に墓の中からよみがえりました。
十字架のおかげで、わたしたちはイエス様を信じるだけで神のみ国でずっと神様と一緒に過ごすことができるようになりました。

それが宝です。イエス様はこんなすばらしい宝をくださいました。
この宝をいだたいているわたしたちは、どんなにすばらしい真珠や金銀宝石などよりも価値のあるものを持っているのです。


お話の後、「ぼくの宝物」を賛美しました
歌詞を紹介します
     
ぼくの宝物

イエス様がくれた このくちびるで
イエス様を賛美しよう
今日も注がれる 限りない愛
心から感謝ささげよう
ぼくの宝物はイエス様を知ったこと
イエス様と一緒に生きること
わたしの宝物はイエス様を知ったこと
イエス様と一緒に生きること


イエス様と出会ったことがわたしの宝物です。ほかのものは何もいりません。イエス様という宝が与えられているすばらしさに感動し続けています。この思いが子どもたちに伝わったでしょうか。

聖書の言葉
「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。 (ピリピ3:8)」 

posted by 土筆文香 at 20:54| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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