2014年05月12日

大いなるしかし

昨日は洗礼礼拝でした。3人の方が洗礼を受けました。
メッセージはイエス様が十字架につけられ、息を引きとられる前に言われた言葉の意味について語られました。

イエス様は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。の意)(マタイ27:46)」と叫ばれました。

この言葉は難題聖書箇所と言われているところで、色々な解釈がなされています。

「イエス様が何のために世に来てくださったかを考えると、本当の意味がわかってきます。」と牧師先生が言われました。

イエス様は罪人であるわたしたちのために身代わりとなって罰を受けるために来てくださいました。
わたしたち人間は、良いことをしたくてもできず、悪いことをすると隠します。生まれながらの罪人です。

この罪によって、神様から永遠の刑罰を受けることになっていました。
へブル9:27には「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」と書かれています。

人は皆、神の裁きの座に立たされます。そして、すべての人が有罪になります。
有罪判決を受けたら「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶしかなくなります。

ところが、イエス様はわたしたちが受ける裁きをわたしたちに代わって受けてくださいました。「わが神……」と叫ばなくてはならないほどの苦しみを味わってくださいました。
おかげで私たちは、「わが神……」と絶叫する必要がないのです。

「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって(略)生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かしーーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。ーー(エペソ2:3-5)」

このしかし大いなるしかしというのだそうです。

「信じた私たちは安息にはいるのです。(へブル4:3)」これを救いといいます。

イエス様のしてくださったことを信じるだけで救われます。

ただ恵みにより救いにあずかったのですから感謝ですね。
イエス様のしてくださったことの大きさを改めて知らされて心があつくなりました。
posted by 土筆文香 at 21:55| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

そのままでいい

昨日は児童文学者協会茨城支部の例会でした。

これまで生涯学習センターの講座室を借りて例会を開いていましたが、同じビルに市役所が入るので、改築のため講座室が一年間使用できなくなってしまいました。

神立に住むメンバーのひとりが家に招いて下さり、そこで例会を開くことができました。
午前中は報告と課題本の合評。午後からは作品の合評です。お昼は掘りたての筍で作ってくださった筍ごはんや山菜の天ぷらをいただいて、おしゃべりに花が咲きました。

児童文学の仲間ではクリスチャンはわたしひとりですが、『そこにいるだけでいいと言ってもらいたい。そのままで愛される者になりたい』というテーマの詩を書いた方がいて、心打たれました。

わたしは、「子どもたちに伝えたいと思っているテーマがこれなんです」と言うと、「子どもだけでなく、誰でもそう思っているよ。特に高齢者の方はね。」と聞いてその通りだなあと思いました。

午後になって急に雲行きが怪しくなってきました。竜巻注意報の放送が流れ、どきっとしました。2年前につくばを襲った竜巻の被害が思い出されます。スマホで雨雲の動きをリアルタイムでみながら、竜巻が発生したら、この辺が通り道になるかも……。そうしたらみんなで(オズの魔法使いの)ドロシーのように旅をしましょうと冗談を言っていました。

合評を始めると、竜巻の恐れは消え、雷鳴や稲光、強風、雨音も気にならなくなり、作品からちょっとそれたおもしろい話にお腹を抱えて皆で笑いあいました。

いつの間にか雨が上がっていたので、その間に車に乗せてもらって帰りました。土浦駅で雨に降られましたが、買い物しているうちに雨が上がり、風もおさまっていました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。
posted by 土筆文香 at 16:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

宇宙の意志

連休に息子一家が来ました。ヒックンの弟、ナルクンは生後一か月になり、我が家を初めて訪れました。一か月で1キロ近く体重が増え、目で動く物を追うようになっていました。ヒックンは、ナルクンにほっぺをすりよせてかわいがっています。
「早く遊べるようになればいいな」と言っていますが……。

友人に勧められて「生命の暗号」村上和雄著 サンマーク出版を読みました。
興味深く読ませていただきました。筆者の村上先生は遺伝子工学の世界的権威者です。
人間は約60兆という数の細胞から成り立っていて、その細胞のひとつひとつに約30億の遺伝情報がしまいこまれているそうです。

遺伝子にはオン、オフの作用があって、よい遺伝子をオンにし、悪い遺伝子をオフにすれば、人は変われるのだそうです。確かに潜在能力というものがあって、自分では気づかない能力を発揮させることは可能だと思います。

「今、人類はその全知能をかけて遺伝子を読み取ろうとしている。私は、遺伝子の暗号を読んでいて、その精緻な働きに驚嘆した。しかし、もっとすごいことに気がついた。それは暗号を書いたものが存在するということだ!」著者はその存在をサムシング・グレートと呼んでいます。

科学を極めようとすると、必ず理論的に解明できない部分が出てくるといわれています。
世界の始まりはビッグバンといわれていますが、ビッグバンの最初の3分間がわからないと宇宙物理学者の先生がおっしゃっているそうです。
ビッグバンの最初の一瞬に何が起こったのかわからないというのです。爆発のタイミングがほんのわずかでも狂っていれば、いまの宇宙、地球、生命はあり得ないというのです。
「偶然ではなく宇宙の意志を感じる」と言われたそうです。

「宇宙と遺伝子は意味ある相似形を描いている。体外宇宙と体内宇宙は呼応しながらつながっており、その起源も同じ。ある同一の意思から発せられたのではないか。その意志を発した主体こそが宇宙の生命のみなもとであるサムシング・グレートである。」と書かれています。

わたしは、そのことに驚きません。なぜなら、この世界を造ったお方は創造主なる神で、そのお方はわたしたち人間を造ってくださったお方なのですから、当たり前のことです。

世界の始まりに爆発が起きたかどうかわかりませんが、3分間の謎は、聖書の創世記の記事によって解き明かされる時がくると思います。
聖書には神は6日かけて天地を造られたと書いていますが、この1日は24時間という意味ではありません。3分という時間も比喩的な意味であらわしていることは明らかです。

わたしが驚いたのは、遺伝子工学の先生や宇宙物理学者がサムシング・グレートの存在を認めていることです。それが聖書に書かれている神なのだと気づいてほしいです。

そういえば、ダーウィンやパスカルもクリスチャンでした。キリスト教信仰は科学と矛盾しないのです。
posted by 土筆文香 at 17:31| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

もう時間がない

「トムは真夜中の庭で」フィリパ・ピアス作 高杉一郎訳 (岩波書店)を読みました。
イギリスのファンタジーの古典といわれる作品です。小学生のころ読んだ記憶があります。

児童文学者協会茨城支部の課題本になったので図書館で借りてきて読みました。岩波少年文庫で出ていますが、図書館には「世界児童文学集」のケース入りのものしかありませんでした。

時計が13回鳴ったとき、不思議な庭園に導かれるという設定。時計と庭園、ハティと同じスケート靴をはいてスケートをする場面は覚えていましたが、そのほかのことは覚えていませんでした。

作者のフィリパ・ピアスは、以前このブログでとりあげた「まぼろしの白い犬」の作者でもあります。「まぼろしの……」はファンタジーではありません。
トムを読んでいたら、わくわくして夢中になってしまいました。最後の場面では涙が出ました。

以前読んだときは気づかなかったのですが、聖書のカインとアベルの話や黙示録に書かれている言葉が出てきたので嬉しくなりました。
黙示録10:6の「もう時間がない」がキーワードになっています。

新改訳聖書では「もはや時が延ばされることはない」と書かれ、共同訳では、「もはや時がない」となっています。

このはギリシャ語でクロノス、経過する時間としての時をあらわします。もはやこれ以上、時間、クロノスは存在しない、つまり終わりが来たということです。

それではいったい何の終わりなのでしょう。
世の終わりのときです。またそれは、あらゆる民族がキリストにあってひとつにされる時です。つまり教会の完成、天にある祝福の時がもはや延ばされることはないというのですから、大いなる慰めと喜びの知らせです。

「トムは真夜中の庭で」の中での「もう時間がない」は、ハティと過ごす時間が少なくなっているという意味だと思いますが、作者は作品を通して聖書の真理を伝えたかったのかもしれません。

わたしはずっと以前からファンタジーの長編を書きたいと思っていました。実際何作か書きました。でも、読者に伝わらないのでした。想像力、表現力の乏しさに限界を感じ、しばらくの間ファンタジーを書くのをやめていました。

ファンタジーは歴史小説のように膨大な資料を調べたりする必要がないので簡単なように思えますが、頭の中で描いた世界を文字を使って読者に同じような情景を思い浮かべてもらうためには、リアリズムの作品より技術が必要なのです。その技術が不足しているため、ひとりよがりの作品になっていました。

わたしは頭の中で映像でファンタジーの世界を見ているのですが、それをどのようにして書き表わしたらよいかわからないのです。
でも、祈りながら書き続け、神さまが力を与えてくだされば、いつかは書けるかもしれないと希望を持っています。
posted by 土筆文香 at 20:55| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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