2014年07月30日

高一殺害事件・・・どうして人を殺してはいけないの?


ブログ更新が滞ってしまいましたが、元気です。しなければならないことが山積で、それが夏休みのためすすまないのでブログを書けませんでした。

また佐世保で痛ましい事件が起こりました。2004年に小学生が同級生を殺すという事件が起きて驚愕しましたが、こんどは高校生が同級生を殺し、しかも遺体を切断したというのです。

学校ではいのちの尊さを教えているはずなのに……なぜこんな事件が起こるのかと悲しくなります。
どうして人を殺してはいけないのかについて、教会学校でも語られ、また何度かブログに書いてきました。
その文章を今回書き直しましたので、お読みください。



すべての人は、神さまによって造られたのです。だから、どんな人も殺してはいけません。人間は他の動物とは違う特別な存在として……神さまと話したり、賛美したりできる存在として造られました。
「神はこのように、人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女に彼らを創造された。(創世記1:27)」と聖書にあります。

神さまは、すべての人を……ぼくも、わたしも、君も、あなたも、この人も、世界中すべての人をいちばん良くできた尊い存在として見て下さっています。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43−4)」と神さまは言っておられます。

わたしたち人間を造られた神さまは、ひとりひとりをとても愛しておられます。
だから、このような(神さまに特別に造られ、特別に愛されている)人間を(自分も他人も)殺してはいけないのです。

イエス・キリストは、心の中でも人を殺してはいけないといわれました。それは、すべての殺人は、憎むこと、嫌いになること、腹をたてること、赦せないという感情から起こるからです。

人を殺したら神さまはとても悲しまれます。死んでしまった人の家族や多くの人が悲しみます。自分の一生を苦しめます。
殺してしまった人にどんなにあやまっても、その人は生き返りません。でも、殺人者を赦すことのできるお方(神さま)がおられることを忘れないでください。
人を殺さない(心の中でも実際にも)ためにはどうしたらいいでしょう?

1)赦すこと、愛することをイエスさまから学ぶ。
2)友達の悪いところばかり見るのではなく、いいところを見つける。
3)暴力的なビデオや漫画、ゲームなど見ない、やらない。
4)友達に対して思いやりの心、優しい心を持つ。etc……。

これらのことを心がけることが大切です。

「どうして人を殺してはいけないか?」ということを聖書を用いずに話そうとすると、子どもたちが納得する答えを出すのは難しいです。
人殺しは殺人罪だからダメだと言うだけでは納得しないでしょう。法で裁かれなければ悪いことではないと考えると、(極端な例ですが)殺人を犯しても誰にも知られなければ悪くないということになってしまいます。

殺人犯に対して、「あの人は人間じゃない」と言う人がいます。少なくとも自分と同じ人間だとは思えないからそう言うのでしょう。
でも、殺人犯の心理を書いた物を読むと、その人が特別冷酷な人なのではなく、追いつめられて人を殺してしまった。ほんの小さな憎しみ、ほんのささいなきっかけから殺人という行為に至ったという例が多いことに気づきます。
もちろん例外はありますが……。

自分が殺人罪を犯していないのは、環境が整えられ、守られているからだけで、心理的には殺人犯に近いときがあると思うことがあります。

「あの人なんかいなくなればいいのに」と心の中で思うことは、心の中で人を抹殺していることで、実際に殺さなくても殺人と同じ罪なのだと聖書はいっています。

小さな憎しみの芽がいつの間にかぐんぐん育って、心の中は憎しみでいっぱいになることがあります。憎しみを抱くと、その人自身の心も蝕まれていきます。

「自分の敵を愛し迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」と聖書に書いてあります。ひとりひとりが憎しみの代わりに愛を持つことができたら、戦争もなくなり、殺人事件もなくなるでしょうね。そうなってほしいと心から願います。
posted by 土筆文香 at 11:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月24日

内なる戦いと外なる戦い

梅雨明けしたとたん、ものすごい暑さがやってきました。
21日から3日間、息子一家が来ていました。わたしはヒックンと遊ぶ間もなく、三食のご飯作りに追われていました。


20日の日曜日は、詩編115編からメッセージを聞きました。
115編は、バビロン捕囚から帰ってきたばかりのころ書かれたそうです。
1節は「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」とあります。

「私たちにではなく」と2回も繰り返して書かれています。

エルサレムからバビロンに捕え移されたイスラエルの民が、再びエルサレムに戻れたのは、自分たちの行いが良かったからではなく、100%神様にしていただいたことだと強調しています。

100%神様にしてもらったことでも、自分の栄光に帰そうとするのは人間の本性だと聞いて、その通りだと思いました。賞賛を受けることがあると、「神様の力です」と口では言っても、少しは自分の努力もあると思ってしまうのです。

自分が栄光を受けたいという欲望が消えないことで悩み、苦しみます。でも、そういう思いと戦っていけばいいのですね。渡部和子さんも、憎しみや復讐したいという思いと戦うようにおっしゃいました。戦えば、主が必ず勝利させてくださるのですから、そういう思いが湧きあがったら、(湧き上がってしまう自分を責めるのではなく)戦っていきたいです。


他の国々は「彼らの神は、いったいどこにいるのか」と言ってあざけりました。エズラ記やネヘミヤ記にもあざけりを受けるイスラエルの民の苦しみが書かれています。

内なる攻撃と外なる攻撃にさらされて、意気消沈している人々に、「イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。(詩編115:9)」と励まします。
盾というのは、神の庇護、ゆるがない信仰の象徴です。

「主を恐れる者を祝福してくださる。(115:13)
主を恐れる者すべてに祝福が及んでいきます。

「天は、主の天である。(115:16)」
わたしたちの神は天におられます。天とは、神が自分たちの苦難に介入してくださる場です。

「しかし、私たちは、今よりとこしえまで、主をほめたたえよう。ハレルヤ。(115:18)」

嘆きで始まっていたこの詩が、心の底から喜びにあふれて、ハレルヤ!と叫んで終わっています。

これこそ、信仰者の勝利ですね。神様が内なる戦いと外なる戦いに勝利をもたらしてくださったのです。

posted by 土筆文香 at 21:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月22日

無駄にならない苦しみ、涙、痛み

これは16日に書こうと思っていたブログ記事です。
15日はレストランで家庭集会を行いました。オーナーがクリスチャンなので、周囲を気にすることなく(といっても貸切状態でしたが)賛美し、祈ることができました。
学びの後は、おいしいランチをいただいて、話に花が咲きました。


新約聖書マルコ6:35-44「5つのパンと2匹の魚の奇跡」から学びました。

イエス様の話を聞きにきた群衆は、男だけで5千人もいました。群衆を解散させてくださいという弟子たちに対してイエス様は、「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい」と言われました。女、子どもも入れて1万人以上の人たちに食べさせるには200デナリ(労働者200日分の金額)も必要です。

弟子たちが困っていると、イエス様は「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」と言われました。
そこにあったのは5つのパンと2匹の魚、たったこれだけでした。ヨハネ6:9には少年が持っていたものだと書かれています。

弟子たちは、こんな少しの食べ物が何の役に立つのだろうと思ったことでしょう。
弟子たちはこれまでイエス様が行ったたくさんの奇跡を見ていました。それなのにイエス様がどんなことでもできる方だということを忘れているのです。

イエス様が祈り、祝福してパンと魚を分けると、そこにいた群衆が皆満腹して、さらにパン切れを集めると12の籠いっぱいになったのです。

イエス様は、何もないところからパンと魚を出すこともできたのになぜ少年の持っていた5つのパンと2匹の魚を用いられたのでしょう……。

イエス様は人の目には無駄だと思えるものを用いてくださいます。

イエス様は、無駄なものを他の人をも生かす祝福と変えてくださいます。」とA先生が言われました。

「苦しみ、涙、痛みは無駄にならない」と聞いて慰められました。イエス様の目から見たら、無駄なものなどひとつもないのですね。
少年が自分の持っていたお弁当を差し出したように、イエス様はわたしたちの持っている物を差し出すことを求めておられます。

わたしの持っているものは少しです。何を差し出したらいいのでしょう。
与えられている時間を人のために使うこと、友のために祈ることも、イエス様に差し出すことになるのなら、喜んで捧げたいです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」
posted by 土筆文香 at 13:02| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月19日

渡辺和子さんが紹介された詩

渡辺和子さんが紹介してくださった詩を掲載します


「ほほえみ」
もしあなたが
誰かに期待した
ほほえみが得られなかったなら
不愉快になる代わりに
あなたの方から
ほほえみかけて ごらんなさい
ほほえみを忘れた人ほど
それを必要とする人は いないのだから


「冬がきたら」
冬がきたら
冬のことだけを思おう
冬を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
冬のたましいにふれ
冬のいのちにふれよう
冬がきたら
冬だけが持つ
深さときびしさと
静けさとを知ろう

坂村真民「冬が来たら」より
posted by 土筆文香 at 21:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

渡辺和子さんのお話し

朝8時、朝食をとりながらNHK朝ドラの「花子とアン」を見ます。続けて「あさイチ」を家事をしながら見ています。

今日は敬愛する渡辺和子さんが「あさイチ」のゲストとして出演されたので、驚きました。渡辺和子さんは87歳。10年ぐらい前、つくばで講演会があって、聞きに行ったことがあります。その渡辺和子さんがまさか「あさイチ」に出演されるとは思っていませんでした。

今日は8時30分から美容院に行くつもりでいたのですが、昨日予約の電話を入れると金曜日がいっぱいで、土曜日予約になりました。ちょっとがっかりしていたのですが、美容院へ出かけていたら、番組を見ることができなかったので、感謝しました。

渡辺和子さんが出演している時間は、テレビの前に正座してお話を聞きました。

著書「置かれた場所に咲きなさい」の売上が140万部になり、昨年末に出された続編、「面倒だから、しよう」も30万部を突破しているそうです。

シスターである渡辺和子さんは、崇高ですべて悟りきっているのではないかと多くの人が思っていることでしょう。でも、人から意地悪をされたら腹がたち、あいさつをされなかったら不満に思うと言われました。わたしと同じ思いを抱かれることを知って親しみを感じました。

それでも、腹がたったり文句が出たら、神様に訴えるそうです。祈り、訴えているうちに、相手側の視点になったり、自分の悪いところに気づいたりするそうです。

以下、渡辺和子さんが話されたおよそのことを記します。録画はしておらず、メモ書きを見て書くだけなので、間違っている箇所があるかもしれません。

人からひどいことをされて、相手に悪い気持ちを抱いたら、その気持ちと戦うことです。もし、仕返しをしたら相手のレベルに下がってしまいます。相手を赦さないとあなたは自由になれません。相手の動向が気になり、一日中その人のことを考えて囚われてしまいます。

自分が返してもらえなかった笑顔は神様のポケットに入って、どこかでいちばんいい使い方をしてもらえます。


最後に「財産となるような歳をとりたい。」と言われました。

それは、自分らしく生きるということ、時間をたいせつに過ごし、自分を成長させていくことなのだと……。その生き方に感銘を受けました。


お知らせが遅くなりましたが、日本クリスチャン・ペンクラブのHPにわたしのエッセーが掲載されています。「南吉に伝えたいこと」です。
ここをクリックして作品→エッセイ楽2をご覧ください。
posted by 土筆文香 at 15:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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