2014年08月22日

嫌いだった自分

大雨によって広島で大きな土砂災害が起こりました。
今は九州が危険な状況になっているそうです。どうかこれ以上被害が出ませんように。
どうか被害に遭われた方を守ってください。


今朝、旧約聖書の詩編139編を読みました。この詩はダビデが書いたものです。
ひとつひとつのことばが心にしみこんでいきました。
「アーメン(その通り)、アーメン」と言いながら読みました。

自分のことが嫌いでたまらず、自分がみじめでならなかった中学生のころを思い出しました。
かつてわたしは、もし神様がいて、自分が神様によって造られたのなら、神様は意地悪で不公平だと思っていました。

「どうして、こんなふうに造ったのですか?」と訴えたい気持ちでした。
訴えたら神様は「きみを造るとき、ちょっと失敗したんだよ」と言うかもしれないなどと想像していました。

わたしは自分を馬鹿にした人、いじめた人を嫌いました。でも、いちばん嫌ったのは自分自身だったのです。
体が弱かったこと、喘息という持病があったこと、内気な性格。運動神経が鈍く、並はずれて不器用だったこと。そして容姿も嫌っていました。
自分にいいところなど何もないと思っていました。

すっと後になってから教会に導かれ、自分が神様によって造られたことを知りました。
造ってくださった神様がどんなお方か教えていただきました。
神様は、不公平な方でも意地悪な方でも失敗する方でもないことを知りました。
「それなら、なぜわたしがこんなふうなんですか?」 
暫くの間は神様に抵抗していました。

でも、あるとき自分のことが受け入れられたのです。人と比較してあの人より劣っている、あるいは優れているという思いから解放され、自分の弱さを含めて欠点をそのまま受け入れられたのです。

聖書を読んだとき、神様が「わたしは目的を持ってお前をそのように造った。そのままのお前でいいんだよ。」と言ってくださっていることがわかりました。神様は、かけがえのないひとり子のいのちを与えてまでわたしを生かしてくださったのです。
詩編139:13-18まで紹介します。


それはあなたが私の内臓を造り、
母の胎のうちで組み立てられたからです。
私は感謝します。
あなたは私に、奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、
私の骨組はあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、
あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、
しかも、その一日もないうちに。
神よ。あなたの御思いを知るのは
なんとむずかしいことでしょう。
その総計は、なんと多いことでしょう。
それを数えようとしても、
それは砂よりも数多いのです。
私が目ざめるとき、
私はなおも、あなたとともにいます。
posted by 土筆文香 at 12:58| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月19日

「タリタ、クミ。」と祈るなら

わたしの通っている土浦めぐみ教会は、コイノニアと称して、韓国の大方(デバン)教会と友好関係をもっています。

コイノニアでは、幅広い年齢層の方々との交わりがあります。今年は大勢の青年たちが来日しました。17日の礼拝では、マルコの福音書5章から「タリタ、クミ。」という題で大方教会の牧師先生がメッセージをしてくださいました。一部を紹介させていただきます。(茶色字はわたしの思ったことです)


会堂管理者のヤイロは自尊心を捨ててイエス様のところへ行きました。娘が死にかけていたからです。そのときヤイロの家から来た人が「あなたのお嬢さんはなくなりました。」と言いました。

それは、ヤイロにとって絶望的な言葉だったでしょう。しかし、イエス様は言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい」
イエス様は、この言葉を気休めに言われたのではないですね。何か対策があるから、「恐れないで」と言われたのです。

この言葉は、わたしたちの人生に対して言われていると聞いてはっとしました。
人生の中で何度か絶望的な気持ちになることがあります。愛する人の死、受験に失敗したとき、がんの宣告を受けたときなど……。
 そんな現実を前にして「恐れないで、ただ信じていなさい」とイエス様が言われるのです。


イエス様は3人の弟子だけを連れて病気の女の子と父母のいる部屋に入られました。
3人の弟子だけを連れて行くのは全人類の救世主として何かをなさるとき、ものすごい大きな神の業が起こるときです。

イエス様は「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」
と言われました。

イエス様は死、苦しみ、痛みを与えるためでなく、いのち、希望、喜び、平安を与えるために来られました。
人々はイエスの言葉を聞いてあざ笑いました。

イエス様は女の子の部屋に行って「タリタ、クミ。(起きなさい)」と言われました。すると、少女は起き上がったのです。
「タリタ、クミ。」はアラム語です。ギリシャ語に訳されていません。特別な言葉だからです。
初代教会の人たちは、この言葉を使って祈り、互いに励まし合っていました。

タリタ、クミ。は現代でも使うことができます。

1)自分自身に対して使えます。心が重くて崩れ落ちそうになるとき。鬱々としているとき、病に苦しむときなど。

2)環境に対して使えます。
どんな解決法も見つからないときなど

3)他者のために使えます。
力を失っている人に、絶望している人に、困難の中にある人に
「タリタ、クミ。」と祈って宣言しなくてはなりません。
「タリタ、クミ。」と祈るなら、神の驚くべき恵みがあります。人生の中に神の業が起こります。


イエス様はわたしにも「タリタ、クミ。」と言ってくださいました。霊的に眠っていたわたしに「起きよ」と語りかけてくださったのです。
posted by 土筆文香 at 17:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

義母と母

先週は両方の実家に行ってきました。

今回は、息子が生後4か月の赤ん坊(ナルクン)をおばあちゃん(曾祖母)にみせたいというので、わたしも息子の車に乗せてもらって一緒に千葉に向かいました。後ろの座席にチャイルドシートが2つあるため、ほかにひとりしか乗れないので主人は電車で行きました。
車の中にいても熱中症になることがあるそうなので、心配でした。14日は曇っていて暑さが少しやわらいだのでほっとしました。
ナルクンは車が動くとすぐ眠ってしまいました。

ヒックンは、教会キャンプの翌日、ママのご両親に旅行に連れて行ってもらい、13日夜に帰って来たばかりでした。
疲れが出たのか機嫌が悪く、30分もぐずぐず言っていました。

指が痛いと言うので、みると深爪をしてしまったようで、膿がたまっていました。ママに膿を出してもらって消毒してからは、痛みがおさまったようで機嫌も直りました。

道路は少し混んでいて、2時間近くかかりました。
お墓に寄ってから、実家にいきました。義母はひ孫を抱いて感激していました。

14日の夜、わたしひとり千葉の主人の実家から三鷹の実家へ電車で行きました。東京駅で電話をしてから行くと、実家の前で母が小雨の中、懐中電灯を持って立っていました。駅から5分の場所ですが、心配して立っていてくれたのです。ジーンときました。

わたしが三鷹に行くことを知って、妹が来ていました。

三鷹へはたいていクリスチャン・ペンクラブでお茶の水に行く前日に泊まるので、たくさんのことはできませんでした。
でも、今回はペンクラブはなくて、2泊したので掃除や片付けがたくさんでき、ゆっくり話すこともできました。

母は昨年の夏、暑かったので食欲がなくなり、7sも痩せてしまいました。今年も猛暑でさらに3sも痩せたというので、心配です。一緒に料理をして食べると、久しぶりにたくさん食べられたといって喜んでいました。

義母87歳、母85歳。どちらもひとり暮らしです。老人ホームに入る話も出ていますが、なかなか難しいです。遠く離れて住んでいると常に気になります。
わたしは朝と1日3回の食前の祈りのときと夜、義母と母のことを祈っています。
posted by 土筆文香 at 17:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

念願かなって

8日、9日は教会学校低学年キャンプでした。子ども30人、大人22人が参加しました。

今回は、祈りが積み重ねられて、孫のヒックンを参加させることができました。

教会学校教師をさせていただいて22年。夏期キャンプ参加は18回。最初はわが子と共に参加しました。その後、3回ほど姪を連れて行きました。まさか孫を参加させることができるようになるとは思いませんでした。

ヒックンをはじめて教会学校へ連れて行ったのは3日の日曜日です。3日は教会学校で礼拝の後、つくば宇宙センターJAXAに行きました。そのとき、ずいぶん馴染んでいました。

それでもキャンプは、ふだん教会学校に来ている子どもでも、母親と離れ難くて泊まるのはいやだという子どもがいるぐらいですから、どうかな?と案じていましたが、ヒックンは、最初から喜んで、ずっとハイテンションでした。

同じ学年の男の子と親しくなり、先生たちともたくさんお話ししていました。場所が変わったときは、不安そうにわたしの顔を捜していましたが、目が合うとにっこり笑っていました。

キャンプ一日目は教会バス2台でミュージアムパークに出かけました。行く途中で雨が降ってきました。プログラムは館内より外で遊ぶのがメインでしたので、どうなることかと思いましたが、外へ出るとちょうどいい具合に雨がやみ、中に入るとまた降ってきて……というあんばいで、雨のおかげで涼しくもなって、神様に感謝しました。

ミュージアムパークの庭で野外ゲームをしました。学年縦割りの4つのグループに分かれて行いました。
クイズの書かれているプレートを見つけ、クイズに答えながら30分以内に帰ってくるというゲームです。

教会へ戻って夕食のカレーいただいた後は、賛美集会です。聖書のお話を聞き、たくさん賛美しました。外が暗くなると、キャンプファイヤーです。キャンプファイヤーのときも雨が降ってきましたが、始まるとやみました。

夜は教会で泊まりました。みんなふざけて大騒ぎでしたが、11時ごろにはほとんどの子どもが眠ったようです。わたしはヒックンとは別の部屋に泊まりました。

翌日はオリエンテーリングをしました。グループに分かれ、教会の庭のあちこちの写真を見て、それがどこなのか探します。その場所にはカードが置いてあり、そのカードに書かれている文字を書き写します。
全部捜して書き写せたら部屋に戻り、文字を組み合わせてひとつの聖書の言葉を完成させます。制限時間以内にできたチームが得点をもらえます。

みんなが一緒に動けるように紐を持ち、汽車に乗って移動します。走ったら失格になると言うと、誰も走る人はいませんでした。
写真は滑り台の一部とか、ベンチの下の部分や植木鉢など、全部で12枚ありましたが、、わたしは1か所だけしかわかりませんでした。
1年生の男の子がほとんどわかっていたことに驚きました。若い教師たちが企画したのですが、大人は気にも留めない場所で、子どもが観察している場所をよく捜し出して写したものだと感心しました。

昼食は、校長先生とお母さんたちが鉄板で焼いてくれたおいしい焼きそば、おにぎり、とうもろこしです。
デザート流しがあって、流れてくる凍ったカップゼリーをつかまえました。

今回のキャンプのメッセージは創世記1章からでした。1節には「初めに、神が天と地を創造した」と書かれています。31節には「神は、お造りになったすべてのものを見られた。それは非常に良かった。夕があり朝があった。第6日」と書かれています。
神様はこの世界、宇宙、月星太陽、木、花、草、動物を造られ、人間も造ってくださいました。
わたしたちは神様によって造られたのです。そして、「非常に良かった」と神様が言われました。わたしたちは非常に良い作品なのです。

わたしは、このことを初めて知ったとき、飛び上がるほど嬉しかったのを覚えています。宇宙も地球も、自分自身も偶然にできたのだと思っていました。自分は失敗作品だから、自分なんかいない方がいいと思っていたのです。

いない方がいい人間などひとりもいません。神様によって造られたからです。そのままの自分を愛し、自分を必要としてくださっているのです。
このことがヒックンをはじめ、すべての子どもたちの心に届いていますように。

そういえば、今日はわたしの誕生日でした。58歳になりました。3日に同じ8月生まれのヒックンママと一緒にお祝いしてケーキを食べたので、今日は特別なことは何もありません。乳がん手術を受けて11年目、こうして元気でいられることは奇跡のようです。


昨日、日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しましたのでここをクリックしてごらんください。

posted by 土筆文香 at 16:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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