2013年09月11日

だれを恐れて生きる?

今日は、久しぶりの聖書輪読会でした。今日は我が家で行うことになり、水曜礼拝の後、メンバーの方々がお弁当を持って集まりました。
今月から12月までの水曜日、主人が仕事に出かけるようになったので、久しぶりに友人を招くことができて嬉しかったです。旧約聖書のレビ記がようやく終わり、民数記に入りました。ひとりで読むのには大変な箇所ですが、5人で輪読したのでしっかり頭に入りました。

日曜日のメッセージのことを書こうとして、忙しくてなかなか書けないでいました。ようやく時間が与えられました。


メッセージは出エジプト記1:15-22からでした。

イスラエルの民は、エジプトで奴隷とされて苦しんでいました。奴隷状態になった理由はいくつかありますが、ひとつはエジプトの王が、人数がどんどん増えていくイスラエル人に抱いた恐れでした。

王は苦役でイスラエルの民を苦しめましたが、苦しめれば苦しめるほどますます増え広がりました。
王はさらに恐ろしい命令を出しました。
それは助産婦に向けられた命令で、イスラエルの民の生んだ赤ん坊が男の子だったら殺せというものでした。

神を恐れたシフラとプアというふたりの助産婦は王の命令に従いませんでした。
シフラとは、美しいという意味で、プアとは香り豊かな花という意味があります。
王にとがめられたとき、シフラとプアは言いました。
「へブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです(出エジプト1:19)」

その言い訳が通ったところがすごいと思いました。
神様は助産婦たちに勇気を与え、言い訳をする知恵を与えてくださいました。
20、21節には「神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民は増え、非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた」と書かれています。

祝福が家に届く。

「礼拝を捧げているのが家族でひとりだけでも、祝福が家族に及んでいきます」
と牧師先生が言われるのを聞いて涙が出ました。

ちょうどその日は息子一家が来ていましたが、教会へ行ったのはわたしひとりでした。
めぐみ教会ではクリスチャンホームが多く、その日わたしの席の周りは家族そろって礼拝を捧げている人たちばかりだったのです。
家族でわたしひとりだけ恵まれても……と思ってちょっと落ち込んでいたのです。タイムリーに慰めが与えられました。


エジプトの王はその後、イスラエルのすべての男の子を殺すように命じますが、モーセのいのちは神の守りによって助けられます。モーセは後にイスラエルをエジプトから救い出すリーダーとなるのです。


「人への恐れ」は滅びと死に至ります。
「神への恐れ」はいのちにつながります。

だれを恐れて生きるべきなのでしょうか。神を恐れて生きるとき、神様が働いてくださると思いました。

posted by 土筆文香 at 20:59| ハテナシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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