2013年11月20日

小さな愛

今日は水曜礼拝の後、子ども家庭集会とJCPクリスマス会で行う朗読劇の練習をしました。
教会学校クリスマス会の劇の準備も佳境に入り、気持ちはクリスマス一色です。
17日の礼拝メッセージは、9月11日のメッセージの続きでした。
メッセージを聞いて感じたことを書かせていただきます。


旧約聖書に登場するモーセという人物は、生まれた時から危機的状況にありました。エジプトの王が、へブル人の女が産んだ子が男の子だったら殺せと助産婦に命令していたからです。
神を畏れたシフラとプアというふたりの助産婦は王の命令に従いませんでした。

母親のヨケべテは、そのかわいいのを見てモーセを生かし、隠しておきました。
(出エジプト記2:1)

王の命令に逆らえば、自分が殺されるかもしれないのに、ヨケベテは恐れませんでした。
かわいいと思う気持ちは愛からきています。愛が恐れに勝ったのですね。

3か月の間、隠していましたが、隠しきれなくなって、瀝青と樹脂をぬったパピルス製の籠にモーセを入れ、ナイル川岸の葦の茂みの中に置いたのです。そのときのヨケべテはどんな気持ちだったでしょう。
胸が張り裂けそうな気持で、なんとか助けられるように祈りながら籠を置いたことでしょう。

わたしは、最初赤ん坊の入った籠を川に流したように思っていましたが、そうではなく、葦の茂みに置いたこのです。そこは、王女がときどき水浴びに来る場所だということをヨケべテは知っていたのかもしれません。

万が一王女が見つけたとしても、そのままほおっておかれるか、父親に告げて殺されることになるという可能性も大きかったのです。
ところが、王女は、その赤子をみたとき、「彼女はその子をあわれに思い(出エジプト2:6)」助けたのです。

「あわれに思うことが、救いの始まりとなる」と牧師先生が言われました。

ようすを見守っていた姉のミリアムは、「乳母を呼んできましょう」と言って、自分の母親を連れてきました。

かくして、モーセは乳離れするまで実の母に育てられたのです。

ミリアムは機転の利く賢い子どもですね。「この子の母親を知っています」と言うのではなく、王女自身が育てることはできないので乳母が必要なことを知っていて、母親とは言わずに母を連れてきたのですから。

モーセが乳離れしたら、王女の息子として宮殿で育てられます。
それまでの短い間、ヨケベテはどんな思いでモーセを育てたのでしょう。やがて手放さなくてはならないことがわかっているので、モーセと過ごす時間を大切にしたことでしょう。祈り、神様のことを語って聞かせたでしょう。モーセにとって実の母の記憶はほとんど残らなかったもしれません。でも、母の祈り、神を畏れる信仰がしみ込んでいったことでしょう。

この後モーセはイスラエル民族をエジプトから救い出す人になります。

モーセは母親と姉の愛、王女の愛により命が救われました。

大きな愛でなくても、かわいい思ったり、あわれに思ったりする小さな愛が人の命を救うのすね。
posted by 土筆文香 at 21:20| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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