2013年11月26日

恐れの中にあって

24日の礼拝では、先週と同じモーセの誕生の聖書箇所(出エジプト記2:1-10)からメッセージが語られました。

イエス様とモーセにはいくつもの共通点があると聞いて、そういえばそうだなあと思いました。

イエス様とモーセ、どちらも赤ん坊虐殺の中で守らています。
イエスの時代のヘロデ王は、博士たちからイエスの誕生のことを聞いて、救い主の存在を(王位を脅かす存在として)恐れ、幼子を虐殺しました。
でも、どちらも親たちの愛により守られました。

モーセは、水から引き出されたということで、死んでよみがえることを意味しています。へブル人としては死に、エジプト人として生き、のちにエジプト人として死んでへブル人を救いました。
イエス様も死んで、よみがえられました。

また、モーセの入れられた籠はノアの箱舟とも共通点があるそうです。パピルス製の籠には沈まないように瀝青と樹脂が塗られました。箱舟は木のやにが塗られました。

塗るとは、おおう(カファール)という意味があるそうです。贖いの血が塗られ、罪がおおわれることを意味します。神様が罪をおおって救い出してくださるのです。
モーセの籠もノアの箱舟もどこかへ行くために作られたのではありません。荒波の中でも決して沈まないように工夫して作られています。

ただ、浮いていれば救われるのですね。どこかへ移動しようとする必要はないのですね。決して沈まない箱舟に乗っているという気持ちで過ごせば平安な気持ちでいられるのだなあと思いました。

ヘロデ王もエジプトの王もこの世での自分の地位が危うくなるのを恐れて幼児大虐殺を命じました。恐れの原因を抹殺しようとやっきになりましたが、結局は失敗してしまいます。

モーセの母やイエスの両親は、やはり恐れがありました。子どもの命を守ることによって自らの命が危うくなりましたが、愛によって恐れの中を生き抜きました。

「神は、恐れの原因を取り除くことによってではなく、恐れの中を生きた勇気ある人たちによって救いをもたらしてくださいました」
と牧師先生が言われました。

恐れの中にあって、勇気を持って生きることができるのでしょうか? 

わたしには勇気などありません。10年前、乳癌になってからは、常に恐れと不安がありました。でも、神様が必ず守ってくださる、必ず最善をなしてくださると信じて、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる(イザヤ41:10)」のみことばに必死にしがみついて歩んできました。これからも恐れや不安と共に生きていくでしょう。

メッセージを聞いて、恐れや不安があってもいいんだと神様から言われたようでほっとしました。


posted by 土筆文香 at 21:21| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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