2014年04月16日

ほかの重荷を負わせない

この数日、捜し物ばかりしています。ひとつが見つかると、別のひとつがなくなるといった具合です。今やったことを忘れて同じことを繰り返してしたり、何度も同じことを言ったり。
ものすごい勢いで頭が老化していくようで、恐ろしいです。忘備録を作っていますが、それを見ていても記憶から消えてしまうのはなぜでしょう……。


今日水曜礼拝で聞いたこともすっかり忘れてしまいそうなので、ポイントだけ書き留めておくことにします。
新約聖書の黙示録は、一世紀の末にキリスト教迫害の中にあってヨハネがパトモス島で書いた手紙です。
約2000年前に書かれたものですが、当時の教会の人たちに対してだけでなく、終末に直面する教会に対して書かれ、同時に今を生きるわたしたちに向けられてもいるそうです。

ヨハネはアジヤにある7つの教会に手紙を書きました。
その中でテアテラの教会へあてた手紙について学びました。
「また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる(黙示録2:18)」

『燃える炎のような目』『光り輝くしんちゅうのような足』は、イエス様のことを示しています。そのまま想像するとちょっと怖いですが、外見を表しているわけではないのです。

目は、イエス様がテアテラ教会の長所と短所を見ていることを意味しています。
足とは何かを行っていく力です。イエス様が行動されたように教会は悔い改めたり、主の業を守ることを期待されているのです。

テアテラ教会には4種類の人がいました。@イゼベルと呼ばれる女預言者。Aイゼベルの子どもたち。Bイゼベルと姦淫を行う者たち。Cイゼベルの教えを受け入れない人たちです。

イゼベルは旧約聖書に出てきます。北イスラエルの悪王アハブの王妃で、バアル礼拝をイスラエルに持ち込み、民を惑わせた人です。
女預言者にその名がついているということは、テアテラ教会で人々を惑わせていることを示しています。イゼベルはキリスト教信仰を持ちながらも同時にこの世の価値観や世俗主義を容易に受け入れました。

主は悔い改める機会を与えたのですが、イゼベルは悔い改めようとしませんでした。

Aのイゼベルの子どもたちとは、子どもではなく、イゼベルの教えの信奉者たちのことです。この人たちもイゼベル同様悔い改めようとしませんでした。

Bのイゼベルと姦淫を行う人たちとは、偽りの教えに惑わされ、世と妥協し、罪に陥った人たちのことです。
主はこの人たちにも悔い改めを迫ります。

Cのイゼベルの教えを受け入れない人たちというのは、女預言者イゼベルの誘惑に屈せず、彼女の教えを受け入れようとしなかった人たちのことです。
世俗の価値観が根強く残る商業都市テアテラにおいて、純粋な神への信仰を貫き通した人々がいたのです。

「しかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。(黙示録2:24)」

「ほかの重荷を負わせない」と書かれているところに心打たれました。

「わたしはあなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。(黙示録2:19)」
テアテラに対する主からの賞賛です。

テアテラ教会はイゼベルやその信奉者たちが大きな罪を犯していましたが、その中に純粋な神への信仰を貫き通した人々がいたのです。その人たちがいたからこそ賞賛され、主からの励ましと約束の言葉が届けられたのですね。


また、励ましの言葉として「ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい(黙示録2:25)」と書かれています。

持っているものとは
『主をあかしし、福音を伝え、教会と隣人に仕え、愛と信頼を抱き、苦しみや理不尽に耐え、神の深みに達することを求めて生きること。』です。

わたしたちもそれを持っているのだと知らされて嬉しくなりました。理不尽や苦しみに耐えるのはつらく、何もかも投げ出したくなってしまうことがありますが、イエス様がしっかりと持っていなさいと言われるのですから、そうしたいと心から願いました。
posted by 土筆文香 at 20:26| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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