2014年07月24日

内なる戦いと外なる戦い

梅雨明けしたとたん、ものすごい暑さがやってきました。
21日から3日間、息子一家が来ていました。わたしはヒックンと遊ぶ間もなく、三食のご飯作りに追われていました。


20日の日曜日は、詩編115編からメッセージを聞きました。
115編は、バビロン捕囚から帰ってきたばかりのころ書かれたそうです。
1節は「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」とあります。

「私たちにではなく」と2回も繰り返して書かれています。

エルサレムからバビロンに捕え移されたイスラエルの民が、再びエルサレムに戻れたのは、自分たちの行いが良かったからではなく、100%神様にしていただいたことだと強調しています。

100%神様にしてもらったことでも、自分の栄光に帰そうとするのは人間の本性だと聞いて、その通りだと思いました。賞賛を受けることがあると、「神様の力です」と口では言っても、少しは自分の努力もあると思ってしまうのです。

自分が栄光を受けたいという欲望が消えないことで悩み、苦しみます。でも、そういう思いと戦っていけばいいのですね。渡部和子さんも、憎しみや復讐したいという思いと戦うようにおっしゃいました。戦えば、主が必ず勝利させてくださるのですから、そういう思いが湧きあがったら、(湧き上がってしまう自分を責めるのではなく)戦っていきたいです。


他の国々は「彼らの神は、いったいどこにいるのか」と言ってあざけりました。エズラ記やネヘミヤ記にもあざけりを受けるイスラエルの民の苦しみが書かれています。

内なる攻撃と外なる攻撃にさらされて、意気消沈している人々に、「イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。(詩編115:9)」と励まします。
盾というのは、神の庇護、ゆるがない信仰の象徴です。

「主を恐れる者を祝福してくださる。(115:13)
主を恐れる者すべてに祝福が及んでいきます。

「天は、主の天である。(115:16)」
わたしたちの神は天におられます。天とは、神が自分たちの苦難に介入してくださる場です。

「しかし、私たちは、今よりとこしえまで、主をほめたたえよう。ハレルヤ。(115:18)」

嘆きで始まっていたこの詩が、心の底から喜びにあふれて、ハレルヤ!と叫んで終わっています。

これこそ、信仰者の勝利ですね。神様が内なる戦いと外なる戦いに勝利をもたらしてくださったのです。

posted by 土筆文香 at 21:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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