2014年06月20日

低い自己評価

5/26の日経新聞に次のような記事が載っていました。

『日本の若者は自己評価が低く、将来を悲観している――。
2013年11〜12月に日本、韓国、米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデンでインターネット調査を実施し、各千人程度から回答を得た。日本では1175人が回答した。
 「自分自身に満足している」と答えたのは1位の米国が86.0%、6位の韓国でも71.5%だったが、日本は45.8%と著しく低かった。「自分には長所がある」と答えた割合も日本は68.9%で最下位。他国は93.1%(米国)〜73.5%(スウェーデン)だった。』


日本の若者は、自己評価が他国に比べて少し低い程度ではありませんね。著しく低いのです。
劣等感をもっている人が非常に多いです。自分の中に価値が見いだせないのです。
「自分に長所がある」と思わない人が30%以上もいるということに驚きます。

幼少のころからほめられるより、ダメなところを指摘されて、しかられながら育ってきた子どもが多いからではないでしょうか。向上心が出てくると思って親はしかるのですが、否定され続けていると、自分の中にいいものはひとつもないと思ってしまいます。
わたしも自己評価の非常に低い者でした。自分自身を否定し、別の人間になりたいと思っていたくらいでした。強い劣等感があり、自分は欠陥人間だと思っていたのです。

両親は厳しく、小学4年生までは口答えもできませんでした。でも、5年生になった頃から父親に逆らい、母親にも逆らう子どもになりました。反抗期は20歳近くまで続きました。

自分はどのような人間なのか、何をすればいいのか……それがわからないうちはゴールがみえないのにがむしゃらに走っているマラソン選手のようでした。遠回りし、ときには反対向きに走っていました。生きているのが苦しくて途中でリタイヤーしたいと思いました。

そんなとき、わたしが神様によって目的を持って造られた存在だと知ったのです。しかも、この大地が造られる前からわたしを造る計画がたてられていたというのです。
そのことを知ってどれだけ嬉しかったでしょうか……。

「すなわち、神はわたしたちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。(エペソ1:4)」

もし、人が偶然で生まれるのなら、人生の意味や目的を見出すことができないでしょう。偶然でできた人なら、その中に劣った人や優れた人があるいはいるかもしれません。

そうではなく、神が計画して人を創造されたのだとしたら、ダメな人間、不必要な人間などひとりもいないのです。
自分は能力がない、ダメだと思っている人にも隠された能力があり、その能力は何かをするためにあるのだと知るでしょう。能力にはさまざまな種類があるので優劣つけることはできません。学校のテストで測ることができる能力はほんの一部に過ぎません。

存在そのものが尊いことを、自己評価の低い人たちが知ることができますように。 

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4」

posted by 土筆文香 at 17:24| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

空っぽ

友人から「小説を書くときに大切にしている事はなんですか? 教えて下さい」と問いかけがありました。

「小説でも童話でもエッセイでも同じですが、作品が神様の栄光を顕すことができるようにとひたすら祈って書いています。」と答えました。
大切にしていることはこのように祈ることです。自分が認められたいために書くのではないことをはっきりさせなければなりません。

書く前は空っぽなんです。乏しい想像力、拙い文章表現力。持っているものは何もないのです。
空っぽの手を開いて書く力を与えてくださいと祈るのです。

そうしたら、神様は満たしてくださいます。
空っぽのほうが神様からたくさんいただけることを、マザーテレサの本から教えられました。

                                             
マザーテレサの言葉

与える物が何もないときは
神に、その「無そのもの」を差し出しましょう。
できるかぎり自分が空っぽでいられるように。
そうすれば、神がわたしたちを満たしてくださいます。
たとえ神さまでも、
もうすでにいっぱいになっているものを、
満たすことはできません。
神は決してご自分を、
わたしたちに押し付けたりなさいません。
あなたがたは、神が与えてくださった愛で、
この世界を満たしているのです。
posted by 土筆文香 at 21:00| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

子どものネット依存

自分はほかの人からどう見られているんだろう。どういうふうに思われているんだろうと思うことがありませんか?

かつてわたしは人の目ばかり気にしていました。裏を返せば、人に少しでも良くみられたい、少しでも良く思われたいと思っていたのです。
小学校高学年のころ、友人の輪から離れたとき、自分の悪口を言われているのではないかといつも不安でした。それは、数人が集まるといつもそのときにいない人の悪口を言っていたからです。
でも、まだわたしの子どものころは、悪口を言ったことがそれほど深刻な事態を引き起こすことはありませんでした。
でも、今の時代は違います。LINEで悪口の言い合いをして、殺人にまで発展してしまった事件がありましたね。

「誰にも教えないでね」と友人に秘密を打ち明けると、その友人がほかの友人にLINEで流し、翌日学校中の人がその秘密を知っていたということがあり得る時代です。

こうなったら人間不信に陥りますよね。人間関係が築かれていないうちにネット上の言葉だけが先走りしてしまうために起こったともいえるでしょう。
顔と顔を合わせて話すと、そのときの相手の表情、声の調子、しぐさなど知ることができます。その人にとって触れられたくない話題を口にしたとき、その人が嫌な顔をしたら、話すのをやめるでしょう。でも、文字だけのつきあいだと、それがわからないのです。そして言葉で互いに傷つけあうのです。

一昨日から3回シリーズで朝日新聞にネット依存症のことが取り上げられていました。

LINEでのやり取りがやめられなくて、お風呂にも入らず、睡眠時間も削っている人たちがいるそうです。やめたら仲間外れにされる、悪口を書かれるかもしれないとそんな恐怖があってやめられないのです。
オンラインゲームについてはよくわかりませんが、連日20時間もゲームをし続けた中学生がいるそうです。学校で居場所がなくて、ゲームの世界で居場所を見つけてしまったのかもしれません。ゲームが現実を忘れてしまうほどおもしろく、魅力的なのでしょうね。自分がどれだけの時間をネットに費やしているか自覚していないのでしょう。

ネット依存専門のクリニックへ行き、ネットをつなげていた時間の記録をつけさせて、こんなに長い間ネットにはまっていたことを自覚させることが大切なのだそうです。
しかし、親がクリニックへ連れて行こうとしても中高生が素直に従うでしょうか。

親子で話し合う。ルールを作る。などの解決策があげられていましたが、すっかりはまってしまった子どもに対しては難しいかもしれません。

膨大な時間をネットに費やしている子どもたちのことを思うと、健全な魂が何かに吸い取られていってしまっているような気がします。現実の世界での素朴な時間の中に楽しみを見つけさせたい。人間本来の造られた目的を知らせ、生きる喜びを味わってもらいたいと思わずにはいられません。


今日はこれから子ども家庭集会に出かけます。小学生と素朴なゲーム(ネットではありません)をして楽しんできます。

報告が遅れましたが10日に日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。

posted by 土筆文香 at 12:10| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月05日

前向きでなくても、がんばらなくてもいい

昨日の夕方ふとテレビをつけるとNHKで「いのちの話をしよう〜助産師・小林寿子さんのメッセージ〜」という番組が放送されていました。(関西放送で放送された番組の再放送です)用事があって最後まで見られず、一部を見ただけでしたが、色々なことを考えさせられました。

9人の子どもの母親である助産師、小林寿子さんが、子育て中の母親の質問に答えておられました。
「子どもが幼い時に父親が死んでしまった。子どもは赤ちゃんのころにもどりたい。そうすればお父さんに会えるからと言っているけど、どう対応したらよいか」という質問でした。

小林さんは「夫を亡くした悲しみは体験していないので十分理解できないかもしれないけれど……」と前置きされて、子どもの発想を否定しないように。赤ちゃんにもどればお父さんに会えるという発想はすばらしいと受け止めるように。
何でも前向きでなくてはならない。がんばらなくてはならないと思わないようにというようなことを言っておられました。
なんと愛のあることば、的確なアドヴァイスなのだろうと心打たれました。

スポーツ選手へのインタビューを聞いていると、「これからも前向きにがんばります」と言っている選手が多いです。「前向き」という言葉。「がんばる」と言う言葉は日本人が好きな言葉ですね。自分の力でがんばって努力して何かを勝ち取ることが人生の目的のように思っている人も多いです。

でも、辛いことがあって前向きになれないときがあり、がんばりたくてもがんばれないことがあります。むしろずっとがんばっているのにさらにがんばれと言われると身が持たなくなりますね。この母親は『がんばらなくてはならないと思わないように』と言ってもらえて、どんなに気が楽になったことでしょう。


その後、番組では通信制高校の生徒に向けた「命の授業」の様子が紹介されていました。
授業の前にあらかじめ高校生にアンケートを配っていました。「自分の好きなところはどこですか」「嫌いなところは」という質問には「好きなところはない」「自分の全部が嫌い」などと書いている子どもがいました。

「わたしのことを父親と母親が勝手に生んだ」
という女子高生は、その表情に『生まれたいと望んだわけじゃないのに……』という気持ちが現れていました。

「いのちってなんだろう?」
「いのちってなぜ大切なんだろう?」
の答えはまだ出ていませんと、小林さんは言われます。

それは、いのちが神様によって造られたことを語らない限り、答えが出ないのです。
生命がつくられるとき、精子と卵子が偶然のように結合してできたように思えるかもしれませんが、実は偶然ではなく必然なのです。そこに見えざる神の手があり、いのちは創造者である神の手によって造られたのです。

いのちがなぜ大切かは、造られた方が大切にしておられるからです。
ほかの人のいのちがなぜ大切なのかは、神様はその人のいのちも大切にしておられるからです。

posted by 土筆文香 at 16:36| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月17日

感謝・感激・感動

昨日は、息子の運転する車でヒックンを連れて千葉県の主人の実家へいってきました。
ヒックンを千葉へ連れて行ったのは約3年ぶりです。義母はひ孫に会ってとても喜んでいました。

今日はお茶の水聖書学院の同窓会報に寄稿した文章を紹介します。以前もブログで似たような内容の文章をいくつか書いていましたが、それらをまとめたようなものになっています。

DVDから流れてきた神の愛


 わたしは、子どもたちに神様の愛を伝えるために童話や児童小説を書いています。書き始めて15年近くたったとき、行き詰まりと迷いを感じ、何をすべきなのか祈り求めていました。

すると、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」のみ言葉が示されました。書く技術を身につけることより、神様のことを第一に求めるべきだと思いました。でも、具体的にどうすればよいのか思いあぐねていたとき、お茶の水聖書学院で通信の学びがあることを教えていただきました。聖書を学ぶことが今のわたしに必要なのだと思い、早速申し込みました。

最初は通信の聴講生でした。卒業のことなどまったく考えておらず、単位も気にしないでDVDを視聴しながらゆっくり学んでいました。

旧約聖書にイエス様を示す言葉や出来事がたくさん書かれていることにまず驚きました。申命記はモーセの遺言だと聞いて、一字一句もおろそかにしないで読まなくてはと思いました。
旧約聖書は難しく、読んでいても意味のわからない箇所だらけでしが、学んでいくうちに書かれている事柄の背後にある神様の愛に気づかされ、胸が篤くなりました。

旧約聖書の学びが終わると、新約聖書、聖書重要教理を受講しました。レポートは、最初要領がわからなかったので、一か月近くかけて書いていました。自信がなく、不合格になるのではないかと恐る恐る提出すると、講師の先生から丁寧なコメントをいただきました。半年で一課目というゆっくりペースでしたが、5年たったときは20単位になっていました。

卒業を意識したのはOBI20周年記念会に出席させていただいたときでした。OBIの歴史を知り、どんな思いで学院が始められたのかお聞きしたとき、卒業したいという思いが与えられました。

2011年4月に聖書科の本科(通信)に編入しました。編入したとたん、卒業研究の説明があり、卒業するためには論文を書かなければならないことを知りました。

卒業研究のために資料をTCUから取り寄せていただいたり、ルーテル学院大学の図書室に通ったりしました。同時にDVD授業をこれまでよりピッチを上げて受けました。
大変というより、楽しくて夢中になりました。2年後には必要単位を越え、論文も無事書き上げ、今年の3月卒業式を迎えることができました。

 よく通信で卒業できたねと感心されますが、一生懸命頑張ったという気はしませんでした。難しすぎることやつまらないことを通信で勉強したら、きっと途中で挫折していたでしょう。でも、学ぶたびに神様の愛がますます感じられ、もっと学びたいと思うのです。
 神様の愛を伝えようと童話を書いていたのですが、わたし自身が神様の愛をどれだけ知らない者であったか気づかされました。OBIの学びを通して流れてきた神様の愛で心をいっぱいにして新たに書いていきたいと思います。

 残念に思ったことは、7年の間に通信で指導してくださったお2人の先生が天国へ召されたことです。悲しいことでしたが、M先生とN先生のスピリットがDVDを通してしっかりと伝わり、わたしの中で生きています。ここまで続けられたのは、素晴らしい先生方と背後で祈ってくださった方々、そして神様のおかげです。3K(感謝・感激・感動)を味わっています。

posted by 土筆文香 at 17:16| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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