2013年06月25日

Who am I ?

先日、CS教師研修会でアイデンティティーの問題についての話を聞きました。

多くの人はアイデンティティーよりハウツーを重要視します。
どうすれば成績が上がるか。どうすれば効率よく働けるか。どうすればよい人間関係を築けるか、どうすれば健康で長生きできるか……。
ハウツー本が売れていますね。役に立つ部分もあるかもしれません。でも、本を読んだ人がその通り実行したら、悩みは解決するのでしょうか? そもそもその通り実行することが難しいような気がします。

就職試験に落ち続けて人格を否定されたように思い、傷ついて鬱病になってしまった人の話を聞きました。アイデンティティーが確立されていれば、それほど傷つくこともなかったのに……と残念に思いました。

ではアイデンティティーとは何でしょう。
アイデンティティーには、存在(自分はどういう人間か)と行為(自分に何ができるか)
という二つの側面があります。

アイデンティティーを確立するには、まず自分がどれだけ価値のある者かを知ることが大切です。
人は誰でも、神様によって造られ、愛されている存在です。
どれくらい愛されているかというと、神様はあなたのことを救うためにご自分のひとり子のいのちを差し出してくださいました。それほどに愛されている存在、価値ある存在なのです。
このことがしっかりわかっていれば、誰に何を言われようとも動揺することがありません。
たとえ世界中の人に嫌われても、あなたは愛されている存在なのです。なくてはならない存在なのです。

「自分に何ができるか」については、すぐにはわからないでしょう。でも、自分がどういう存在なのかを知っていれば、なすべきことがわかってきます。

レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンが「Who am I」と叫んでいます。牢獄では番号で呼ばれ、牢獄を出たら犯罪人としてのレッテルを貼られてバカにされ、それを隠して市長になったら市長さんと尊敬され……。立場や置かれた場所で違った扱いを受けるので、本来の自分は誰なんだろう? と思うのは当然です。         

ジャン・バルジャンの場合は、盗みを働いたのに赦され、愛されたことを思い出すことによって、アイデンティティーが確立されたのです。それで、なすべきことができたのではないでしょうか。
posted by 土筆文香 at 17:48| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月03日

卒業しました

昨日は、お茶の水聖書学院の卒業式でした。記念品目録を読むという大役を与えられ、感謝会では大勢の方々の前で食前の祈りさせていただくことになって、とても緊張しました。

通信で2006年から学びはじめたので、卒業まで7年もかかりました。

本格的に聖書を学びたいという気持ちの根底には、乳癌になって、いつ召されるかわからない者だと自覚したことにあります。今、元気で自由な時間が与えられているのなら、その時間を神様のことをもっと知るために使わせてもらおうと思ったのです。

最初は聴講生でした。卒業することなどまったく考えておらず、単位も気にしないでゆっくりと学んでいました。

1週間で90分のDVDを2回に分けて視聴していました。1課目で12枚のDVDと3〜4のレポート課題があります。ひとつのレポートを書くのに1か月かかっていましたから、1課目に約半年かけていたわけです。1課目で2単位いただけるので、5年たったときには20単位になっていました。

2010年10月に、学院の20周年記念会に出席しました。そのとき『なんて素晴らしいところで学ばせて頂いているんだろう。ぜひ卒業したい』という思いが与えられました。そして2011年4月に聖書科の本科(通信)に編入しました。

編入したとたん、卒業研究の説明があって、卒業するためには論文を書かなければならないことを初めて知りました。単位が満たされればいいというわけではなかったのです。また、通信生はサマースクーリングに2回以上参加しなければなりません。

それから2年。DVD授業をこれまでよりピッチを上げて受け、サマースクーリングに参加し、同時に卒論に取り組みました。
大変というより、楽しくて夢中になりました。卒業時には必要単位30単位を越え、34単位を取得していました。

よく通信で卒業できたねと感心されますが、一生懸命頑張ったという気はしませんでした。
難しすぎることやつまらないことを通信で勉強したら、きっと途中で挫折していたでしょう。でも、学ぶたびに神様の愛がますます感じられ、もっと学びたいと思うのです。

今まで、高慢にも聖書のことは少しは知っていると思っていたわたしでしたが、いかに知らない者だったか気づかされました。学びを一応終了した今でも知らないことがまだまだたくさんあります。

聖書は汲んでも汲んでも尽きない泉のように、求める者には恵みを溢れさせてくださいます。聖書学院の学びは、神様の愛と恵みをあふれさせる場となりました。

7年の間に通信で指導してくださったお2人の先生が天国へ召されました。とても悲しいことでしたが、M先生とN先生のスピリットがDVDを通してしっかりと伝わり、わたしの中で生きています。

ここまで続けられたのは、素晴らしい先生方と背後で祈ってくださった方々、そして神様です。3K(感謝・感激・感動)を味わっています。
posted by 土筆文香 at 21:00| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月12日

虐げられても生きていてください

このところブログ更新が週2回ほどになっています。書きたいことはあるのですが、PCの前に座る時間が少ししかないのです。まるでモモに出てくる時間泥棒がやってきて時間を盗まれているような気がします。

でも、それは今年になってから新しいことを始めたせいだと気づきました。
2回目のデボーション時に聖書通読をすることにし、30分のウォーキングをし、夜はPCを早めに終了して読書をしています。

主人が毎日家にいるので、自由に使えるのは細切れの時間です。細切れの時間でも充実した宝物のような時間が与えられていることを感謝しています。


ネット読書会「カラマの会」で、今年はチャールズ・ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」が課題本になりました。ディケンズは、クリスマスキャロルで有名な作家です。昨年はドストエフスキーの「白痴」と「悪霊」で悪戦苦闘しましたが、この本は読みやすくて、どんどん読めてしまいます。

作者の回想録というかたちでデイヴィッドが子どものころの出来事が綴られていますが、児童小説を書いているわたしとしては願ってもない作品です。

この小説には、デイヴィッドが虐待を受けたことについて書かれています。
まさに今書いている小説が虐待を扱っているものなので、不思議な一致に驚いています。一致と言っても、デイヴィッド・コパフィールドは1850年代のイギリスでの出来事。わたしは現代の日本で行われていることをもとに書いているので異なりますが、当時と現代で共通するところがあります。

デイヴィッドは生まれる前に父親を亡くし、母親と乳母ペゴティーと幸せに暮らしていました。でも、母親が再婚した後、義父から虐待を受けるようになります。義父の姉まで一緒に暮らすようになるとは……ちょっと考えられませんが、当時はそういうこともあったのでしょうか……。そしてその姉にも冷たくあしらわれます。

デイヴィッドは義父によって学校に入れられますが、そこでは鞭を持った先生から虐待を受けます。母親は赤ん坊を生んでしばらくして、死んでしまい、デイヴィッドは孤児になってしまうのです。

このように書くと、お涙ちょうだいの小説に思えますが、ユーモアがあり、初恋の場面もあり、わくわくどきどきしながら読める小説です。
 

虐待については、「シーラという子」をはじめ、トリイ・L・ヘイデンの著書をずいぶん読みました。また「“It”と呼ばれた子」を読んで衝撃を受けました。

児童虐待の問題は3つの段階を経て解決に導かれると思います。

ひとつは、親から虐待を受けている場合、子ども自身、自分が虐待を受けている事実がわかっていないことがあります。親を慕う気持ちもあって、虐待を受けていることをほかの人に隠していることがあるのです。自分が不当な扱いを受けていることを知り、声を上げることが解決の第一歩ではないでしょうか。

もうひとつは、親から離れること。物理的にも精神的にもです。当然愛してくれるはずの母親に拒否されるほど非情なことはありません。あるときは溺愛し、あるときは突き離されたら、子どもは混乱に陥ります。一緒に暮らすことで子どもの人格が蝕まれていくことがあるのです。

3つ目は、虐待を受けている子どもだけでなく、いじめじあっている子ども、自殺願望のある子どもに対しても知ってもらいたいことですが、
「自分は誰なのか。何のために生まれて来たのか。」という問いに対する答えを教えることです。

その答えは次のようなことです。

「あなたは、確かに母親のお腹から生まれました。でもそれは、決して偶然ではありません。あなたが生まれることを計画してくださり、お母さんのお腹の中で骨を組み立ててくださった方がおられるのです。
それは、天と地を造ってくださった神様です。あなたは、神様によって造られた者なのです。その神様は、あなたのことをどんな宝石より価値のある者だといってくれています。自分の大事な息子のいのちを差し出してまであなたを愛するといってくださっています。
たとえあなたが何もできなくても、たとえあなたが生まれてこない方がよかったと言われても、あなたの存在そのものを喜んでくださるお方がいるのです。
あなたがこの世界にいることを認め、嬉しいと言ってくださる方がいるのです。どんなに虐げられても生きていてください。あなたが生きていることに大きな意味があるのです」



10日にクリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひご覧ください。


posted by 土筆文香 at 20:55| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月17日

4人目の博士(後編)


朗読劇の続きです。


ナレーション:アルタバンは、たったひとりで砂漠を旅し、ベツレヘムの町に着きました。小さな家の戸が開いていて、子守唄が聞こえていたので、その家に入りました。そこには若い母親と赤ん坊がいました。

アルタバン :ちょっとお尋ねしますが、わたしと同じような服装の外国人がこの町に来ませんでしたか?
母親    :おやまあ。ちょうど3日めえさきて、ヨセフどんの家さ行って、赤ん坊に贈り物をやったっつう話を聞いたがぁ。
アルタバン :そうですか。ヨセフの家はどこでしょう。
母親    :それが……昨日、急に旅に出たみてえで……。3人の外国人もあ    
っという間にいねくなってしまったんだぁ。
アルタバン ど、どこへ旅立たれたんでしょう。 
母親    :あいさつにも来ねえんだ、知るわけねえべ。

ナレ    :そのとき、路地から女の人の悲鳴が聞こえて来ました。ドタドタと足音も聞こえます。

女     :ローマの兵隊が赤ん坊を殺しに来たぞ! はやぐ逃げれ 

ナレ    :アルタバンが戸口に立つと、槍を持つローマの兵隊がぞろぞろやってくるのが見えました。母親は赤ん坊を抱いて部屋の隅で震えています。アルタバンは、ルビーを出しててのひらに乗せました。

兵士    :この家に赤ん坊はいないか! 
アルタバン :ここには誰もいない。わしを見逃してくれるような賢い隊長がいたら、この宝石をやろうと思っているんだが……。

ナレ    :兵士はキラキラ光るルビーを見ると、いきなり手を伸ばして取りました。

兵士    :ここには子どもはおらん。家はからっぽだ。先へ進め!

ナレ    :兵隊たちは武器をガチャガチャいわせながら去って行きました。

母親    :ありがとうござんす。何てお礼ゆったらええが……。神様がおめえさまを祝福して下せえますように。

ナレ    :アルタバンは、救い主を捜して旅を続けていました。エジプトに行ったといううわさを聞いてエジプトにも行ってみました。でも、見つけられず、またユダヤの国に戻って捜しました。いつの間にか三十三年の月日がたっていました。黒かったアルタバンの頭は真っ白になっていました。
      エルサレムの町に来たとき、ちょうど過ぎ越しの祭りの最中でした。ひとりのユダヤ人の言葉が耳にとびこんできました。

男     :ユダヤ人の王とゆった男は、とうとう十字架につけられちまったべ。
アルタバン :えっ、誰が十字架につけられたのですか?
男     :おめえ、知んねえのけ? ナザレのイエスつう男だっぺ。
      :自分が「神の子」なんてゆったから十字架刑になったんだべな。       
アルタバン :(まさか。まさかその人は、わしが捜している救い主?)

ナレ    :そのとき、マケドニアの軍隊がこちらに向かってきました。兵士はひとりの娘の髪をつかんで引きずっていました。娘はアルタバンの姿を見ると、すがりつくような目でみつめました。

娘     :助けて! 奴隷に売られちゃうよ。奴隷になるぐれえなら、死んじまったほうが楽だっぺに。

ナレ    :娘の必死な叫びにアルタバンの心は揺れました。

アルタバン :(この真珠で助けることができる。でも、真珠を使ってしまったら、救い主に差し上げるものが何もなくなってしまう……。
       でも、神様はこの娘を救うことを喜んでくださるだろう。)
ナレ    :アルタバンは、真珠を取り出して、娘の手に握らせました。

アルタバン :これはお前の身代金だ。これでお前は自由になれるんだよ。

ナレ    :そのとき、ゴーっと地鳴りがしたかと思うと、大地が激しく揺れました。壁が崩れ、アルタバンの頭に重いれんがが落ちてきま
した。アルタバンの額が割れ、血が流れました。娘はアルタバンを支えましたが、一目で命が助からないことがわかりました。
アルタバンは、静かに口を開きました。誰かと話しているようです。その相手の姿は娘には見えませんでした。

アルタバン :主よ。わたしがいつあなたが空腹であるときに食物をめぐみ、かわいているとき飲ませましたか? いつあなたが旅人であるとき宿を貸し、裸なのを見て着せましたか? わたしはただあなたを捜していただけで、何のお役にもたてませんでした。

イエスさま :おめえによーぐゆっておぐ。おれの兄弟(きょうでえ)であり、いちばんちっちぇーものにしたのは、おれにしたのどおんなじだぁ。

ナレ    :アルタバンの旅は終わりました。宝はすべて主が受け取ってくれたのです。
「もう一人の博士」はとうとう救い主に巡り会えたのでした。             
             
 *讃美歌121番「まぶねのなかに」を賛美する。

                         おわり

アルタバンの生き方がイエス様の生涯と重なったので、讃美歌「まぶねのなかに」を賛美しました。この脚本は、「もう一人の博士」V.ダイク著 岡田 尚訳 佐藤 努画(新教出版社)を参考に書きました。

昨日は教会学校小学科のクリスマス会でした。子どもたちが一生懸命演じている姿に心打たれ、救い主誕生の喜びにあふれました。

posted by 土筆文香 at 17:02| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月15日

4人目の博士


一昨日は家庭集会のクリスマス会でした。7つの家庭集会のメンバーが教会に集まって、それぞれ出し物を披露しました。今年のテーマは星です。
すばらしい賛美(中国語での賛美もありました)や劇、将来のゆめを語ってくれたグループもありました。

わたしたちは昨年と同様、朗読劇(もちろん、中身は新しい作品です)をしました。当日朝に早く集まってリハーサルをしましたが、それ以外は 11月の家庭集会で一度練習したきりです。

ほとんどぶっつけ本番でしたが、みなさん迫真の演技(?)でした。朗読劇の台本(前半)を紹介しますね

       
      
 朗読劇  4人目の博士(その1)


ナレーション:いまから2000年以上もむかし、ペルシャの国で四人の博士が星の道筋を調べるため、夜空を見上げていました。

博士1  :おお、あれは何だ? 今まで見たこともない星が出てるぞ。
博士2  :何だって? あ、ほんとだ。なんて美しい輝きなんだろう。
博士3  :この星は、何かのしるしかもしれない。
アルタバン:そうとも。この星は、メシヤ誕生のしるしだ。
博士1  :ほんとうかい、アルタバン。そういえば、あの古い巻物に救い主のことが書いてあったような……。

ナレ   :博士たちは、以前ペルシャに住んでいた捕囚の民、ユダヤ人が持っていた巻き物を読んでいました。

アルタバン:巻物のダニエルに書かれていることから計算したら、メシヤ誕生はちょうど今年になっているんだ。

ナレ   :アルタバンは仲間の誰よりも巻物を一生懸命読んでいました。
博士2  :とうとう救い主がお生まれになったんだ!
博士3  :みんなでユダヤの国に救い主を拝みに行こう。
博士1  :救い主に差し上げる贈り物を用意しなくては。
博士2  :長い旅になるから、ラクダも必要だな。      
博士3  :では、四日後の夕方に七星の宮の前で会おう。

ナレ   :博士たちは、旅支度をするため、それぞれ家に帰って行きました。財産を売り払ってメシヤに差し上げる贈り物やラクダを用意しました。アルタバンは贈り物としてサファイヤとルビーと真珠を求めました。

アルタバン:ああ、もすぐ約束の時間だ。急がなければ……。
ナレ   :約束の日の夕暮れが迫ってきころ、アルタバンはラクダに乗って、七星の宮に向かっていました。そのとき、道端に誰かが倒れているのを見つけました。
旅人   :(苦しそうに)う、うっ……。助けてくれ。

ナレ   :倒れていたのはユダヤ人の旅人でした。アルタバンがラクダから降りて旅人を見ると、彼は熱病にかかっているらしく、手足がけいれんで震えていました。

アルタバン:(気の毒だけど、看病したとしても助かるまい。約束の時間がせまっているから、行かなくては……。)

ナレ   :アルタバンがラクダに乗りかけたとき、旅人の細い手がアルタバンの衣のすそをつかみました。

旅人   :み、水くんねえか。
アルタバン:えっ、水だって! (この人のために水を汲みに行っていたら間に合わなくなる。どうしよう)
ナレ   :アルタバンは迷いましたが、旅人を見捨てることができず、水を汲みに行き、飲ませてあげました。そして、薬草を飲ませて一晩中看病しました。
夜が明けるころ、旅人は回復しました。アルタバンは、持っていたずべての食料と薬草の残りを渡しました。

旅人   :ああ、ありがてえ……。おめえさまは誰だっぺ?
アルタバン:アルタバンです。救い主がお生まれになったので、これからユダヤの国のエルサレムに行くところです。
旅人   :そうけ! 救い主がとうとう生まれたのけ。何のお礼もできねえけど、おめえさまにひとつ聞かせてえことがある。
アルタバン:何でしょうか?
旅人   :救い主が生まれるのはエルサレムでねえべ。ベツレヘムだっぺ。まちげえるな。
アルタバン:ありがとう。ベツレヘムですね。

ナレ   :アルタバンは旅人と別れ、ラクダをすすめました。約束の日時はとっくに過ぎていましたが、仲間が待っているかもしれないと、七星の宮の前に来ましたが、そこには誰もいませんでした。
宮の屋上に「先に行く。砂漠を超えていくから追いつくように」と書かれたパピルス紙が置いてありました。
      
アルタバンはがっかりしました。でも、しかたがありません。食料も薬草もなくなってしまったので、贈り物として用意していたサファイヤを売って、それらを買い、仲間のあとを追いました。
                  つづく

 *ユダヤ人の言葉を茨城弁で書いています。
  ガリラヤなまりと茨城弁が似ているのではないかと勝手に想像しました。
posted by 土筆文香 at 17:05| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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