2011年11月30日

役に立たなくていい、そばにいるだけで……

OBI(お茶の水聖書学院)で牧会臨床学のカウンセリングについて学んでいます。カウンセリングで最も大切な傾聴について学び始めているとき、27日の礼拝メッセージでも聴くことの大切さについて教えられました。

人の話を黙って聞くことはとても難しいことだと実感しています。
ともすれば、人の話を聞きながら、次に自分が言うことを考えていたり、話を聞いてお説教してしまったり……。
わたしはかつて言葉で失敗しました。友人の訴えを聞いて、なんとか役に立ちたいと思い、悩みを解決に導くアドヴァイスをすることばかり考えていました。それで、正論を言って友人の心を深く傷つけてしまったのです。

まるでヨブの友人のようでした。ヨブの友人は最初ヨブの哀れな姿を見て、言葉を失い7日間そばにいたのですから、ヨブの友人の方がましです。(ヨブの友人はそのあと話し始め、ヨブはそれに答えているうちに悩みが深くなります)

ヘンリー・J・M・ノーウエンの「コンパッション」には
『わたしたちが、慰めや安らぎを感じるのは、往々にしてお互いにとって「役に立たず」、控えめで、つつましくそこにいることなのだということを忘れています。』
と書かれています。

役に立とう、何とか教えよう、導こうと思う気持ちが相手の傷をかえって深くしてしまいます。役に立たなくていいんです。共にいて、共に悲しむことだけでいいのだと苦い経験の後で気づかされました。


posted by 土筆文香 at 21:18| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月15日

条件付きの愛は哀しい

主人は孫のヒックンに「いい子だったら今度おもちゃ買ってあげる。いい子かな? 悪い子かな?」としきりに言っています。
そういうふうに言わないでと言っているのに……。

いい子だったら……と条件をつけると、いい子のヒックンは好きだけど、悪い子のヒックンは嫌いという意味になりかねません。
いい子になってほしくて言っているのはわかります。でも、子どもはするつもりがなくても、つい悪い事をしてしまうことがあります。(子どもだけでなく大人もそうですね)

そして悪い事をしたとき、しまった!と思って反省するのです。
そんなとき、頭ごなしに叱られたり、悪い子とレッテルを貼られたりしたら、反省の気持ちが薄れてしまいます。
さらに悪い子は受け入れてもらえない、愛されないと思うと、突き放されたような気持ちになります。

わたしは子どものころ悪いことをした時、母に叱られているうちは安心していました。
でも、「もういい。わかったから」とそっぽを向かれると不安になりました。「何がわかったの?と聞くと、「あんたは悪い子だってことがわかったの」

そう言われると、もう愛してもらえないのだと思い、母の背中に泣いてしがみついたのを覚えています。

悪いことをしてしまったら、その行為に対して叱っても、悪いことをした子どもの存在を否定してはいけないのです。

今の世の中は良い結果を出すこと、努力して勝ち抜くことを賞賛し、体が弱いため頑張りたくても頑張れない人、頑張っても良い結果を出せない人をバカにする社会です。
目に見える成果、結果だけを重視し、経過やそのときの子どもの心を無視する先生や親。
「いい子だったら○○してあげる」「成績が上がったらご褒美を上げる」と条件付きで子どもを可愛がる親。

成績が悪くても、悪い事をしてしまっても、存在そのものが尊いのだという聖書的な考えで子どもに接すれば、もっと伸びて行くのになあと思います。

先週の水曜礼拝では夜回り先生こと、水谷修一さんの書いたものを紹介して下さいました。
その中に
「純粋でまっすぐな子どもほど病んでいき、優しさがある子ほど、優しさゆえに傷つけられている。みんな大人の都合で汚されている」
と書かれていました。

夜の街でうろついている子どもたちは不良でどうしようもない人間だというレッテルを貼る大人が多い中で、水谷先生は夜の街の子どもたちと接してこられました。彼らは好き好んで夜の街にいるのではなく、居場所がないから出かけて行くのです。本当は寂しくて愛に飢えているのです。

そんな子どもたちに伝えたい。「きみを造った神様は『わたしの目には、あなたは高価で尊い(イザヤ43:4)』と言っておられるよ。きみは愛されるために生まれたんだよ」と。


posted by 土筆文香 at 17:14| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

美しさに感動する心

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OBIの学びの中で「審美感(しんびかん)」という言葉が出てきました。美しいものを見分ける感性のことです。審美感は神様が作られてわたしたちに下さった感情ですから、誰でも持っています。美しいものを美しいと感じる心を育てることが大切だと聞いてその通りだなあと思いました。

子どものころ、身近にある自然の美しさに感動していたのに、いつの間にか気づかなくなってしまったものがあり、忙しい日常の中で大切なものを失ってきたような気がします。

ヒックンが2歳のとき、ベランダで咲いたチューリップをみて「お花きれい。笑ってる」と言っていつまでもながめていました。

わたしは子どものころ、道端に咲く白い花びらを広げている小さな花を見つけたとき、なんてきれいなんだろうと思いました。祖母に花の名を聞くと「雑草だよ」と面倒くさそうに答えたのでがっかりしました。でも、後になってその花にハコベという名がついていることを知ったとき、とてもうれしかったことを思い出します。

最近は夕方になると晴れた日は必ず窓の外を眺めます。夕焼け空をみて、空のキャンバスに描く神様の絵画を感動を持って眺めるのです。(毎日違うので飽きません)

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中でゾシマ長老が言っている言葉を読むと、心新たにされます。

わたしの心は……むしろ夕日を、
夕日の長い斜光を愛し、
その斜光とともに、長い祝福された人生の中の
静かな和やかな感動的な思い出を、
なつかしい人々の面影を愛している。

それらすべての上に、感動させ、和解させ、
すべてを赦す、神の真実があるのだ!


ゾシマ長老は夕日を見て、生涯の思い出と出会った人々を思い浮かべ、愛をもって受け入れています。神さまの真実を見て、感動し、和解し、赦しを体験しています。自然をみて、神様の語りかけを聞いているのです。何というすばらしい感性でしょう。

ひとつの花を見ても、雑草だとしか思えない人、どんな名がついているんだろうと思い巡らす人、神様がこのような小さな花をも造られたのだと感謝と感動をもって見る人、「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい」と言われたイエス様の言葉を思い出す人……それぞれだと思います。幼子のように「きれい」と思うだけでもすてきですね。

野に咲くゆりを見て、イエス様は
「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花のひとつほどにも着飾ってはいませんでした(マタイ6:29)」と言われました。

これは、ゆりの美しさを最大限に表現された言葉だそうです。イエス様ご自身がご自分の感性で美しいと感じられたのです。そして、人々にも美しさを理解するように語られたと教えていただいて、イエス様ご自身が持っておられる審美感をわたしたちにも下さったのだなあと嬉しくなりました。

美しさに感動する心を呼び起こされました。

posted by 土筆文香 at 13:43| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月06日

震災…回復の道

東日本大震災からもう少しで半年になります。あまりにもひどい惨状に言葉もなく、震災について書くことをためらっていました。
震災後、一か月くらいの間は、津波の後の悲惨な姿と原発の危機的状況を伝えるテレビを見て、何もできない自分を責めました。

まだ震災による心の傷は深く、できればしばらくは書きたくないと思っていました。

ところが日本クリスチャン・ペンクラブで「私と東日本大震災」のエッセイを書く課題が出て、児童文学の会で東日本大震災のことを短歌か俳句、川柳で書くという宿題が出ました。そして、今月18日の教会学校では原発事故に触れて語らなくてはならず、避けて通ることができなくなりました。

日本で初めて原子力発電所が作られたとき、新聞には「人間の英知はなんとすばらしい!」という意味の言葉が書かれていたそうです。

人間が考え出した原子力発電によって、産業は発展し、生活は便利になりました。
危険性の指摘はされていたようですが、たとえ地震や津波が起きても危険なことはないと伝えられていたので人々は安心していました。

ところが人間が予想しているよりはるかに大きな地震が起き、はるかに大きな津波がきて、一部の原子力発電所が壊れてしまいました。「想定外」という言葉を何度も聞きました。

そして、神様が造られた世界にはなかった放射性ヨウ素やセシウムが出てきて、自然が壊れ、人間の体にまで悪い影響を及ぼすことになってしまいました。

なぜこのようなことが起きたのか? と最初は考えました。「神の裁きだ」と言った人もいたそうですが、それは違います。
なぜと問うことは、神様の主権を認めていないことになるので、問うのはやめました。それよりも残された者としてできることは何か考えています。

ただ五七五七七にしただけの拙い短歌を紹介します。
 

北国に避難し子どもらたずねおり 大きく息を吸っていいの


お母さん体に悪くないのはどれ 心配そうにたずねる子ども 


悪くない山、海、空も花や鳥 もどれよ時間あの日の前に


だいじょうぶ影響ないと言われても 募るは不安見えない恐怖


もどってこいあの日の前の水、空気 町、村、人よ じいちゃんの笑顔


なにゆえにと問うのはやめた 何のため生かされたのか問いかけてみる 


何をせん無力な自分責めるだけ 書いて伝えよ残されし者


一首目は北海道に避難してきた福島県の子どもたちがそう言ったとのニュースを聞いて心痛めて作りました。
二首目は近所のスーパーで買い物をしていたら、小学生4年生ぐらいの女の子が母親に尋ねていたことを書きました。

原発のことばかり書いているのは、神様が造られた調和のとれた自然が変わってしまったことを嘆いているからです。見た目は変わらない美しい景色。でも、目に見えぬ放射能が……。簡単にはもとにもどらない世界。

そのような中にあっても神様の守りと恵みを感謝します。回復不可能ではありません。わたしたちが神様の御心に沿って歩むことが回復の道です。


聖書の言葉

地の深みは主の御手のうちにあり、
山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。
陸地も主の御手が造られた。
来たれ。
私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。
私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。
                      (詩篇95:4-6)

posted by 土筆文香 at 16:30| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月20日

手足がなくても(続き)

前回は生まれつき手足のないニック・ブイチチさんのことを書きました。そのニック・ブイチチさんが、サーファーのベサニー・ハミルトンさんにインタビューをしている動画を見ました。
ベサニー・ハミルトンさんは13歳のとき、利き腕であった左腕をサメに食べられて失っています。

彼女は、小さいときから人生を神様にお任せしていたと言います。ただ、神のご意志によって、自分がサーファーの才能を通して用いられることを望み、お母さんと祈っていたそうです。
そのようなとき、事故が起きました。事故が起きたとき、すぐに神が計画した私の人生だと気づいたと言うから驚きです。

日々の生き方、祈りによって、どんなアクシデントが起きてもあわてない信仰の姿勢が表れていますね。

事故が起きたとき、友人が聖書のエレミヤ29:11を示してくれたといいます。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。−主の御告げ。ーそれは、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレミヤ29:11)」

片腕を失ったら、普通ならショックを受け、不幸な事故にあったと思うでしょう。でも、彼女は決して不幸だと思っていません。神様からの計画であると確信したからですね。

彼女は、神様が忍耐力と、サーフィンに対する新しい情熱を与えてくれたと言いました。

「もし、サーファーじゃなかったら、どうやって難局を乗り越えられましたか?」
とニックさんが質問すると、
「サーファーがわたしにとっていちばん大切なものではない。いちばん大切なのはイエス・キリスト。イエス・キリストがサメからの恐怖を取り除き、前向きに生きる力を与えてくれた」とあかししました。

「もし、可能なら腕を取り戻したいですか?」と尋ねられると、Noとはっきり言いました。
片腕のない状況によって、健全な人に希望を与えられるから、腕はいらないと。

ベサニー・ハミルトンさんは事故にあったことが神様の計画だと知り、片腕がないことを受け入れています。

片腕がないことを嘆くのではなく、むしろこのことによって、イエス・キリストを伝えられ、人々に希望が与えられると喜んでいるのです。

ニック・ブイチチさんも同じです。彼は障害を受け入れるまでは苦しみを通りましたが、受け入れてからは、手足のないことをむしろ喜んでいます。

現在体が健康で、障害のない人でも将来はどうなるかわかりません。病気になったり、事故にあったり、また年を重ねれば、体が思うように動かせなくなります。

でも、そのことを受け入れられれば、嘆きは喜びに変わります。
癌になっても、神様の計画として受け入れられれば、精神的苦痛は取り除かれます。

人間、どんな状態になっても、イエス・キリストによって希望を持ち続けることができるということを2人のあかしを通して教えられました。


ニック・ブイチチさんとベサニー・ハミルトンの対談You Tubeは、もうひとつのブログ「生かされて」よりご覧ください。

posted by 土筆文香 at 16:40| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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