2011年08月18日

手足がなくても

水曜礼拝でニック・ブイチチさんとベサニー・ハミルトンさんのことが紹介され、You Tube を見せていただきました。

ニック・ブイチチさんのことは、4月にテレビでも放映されたのでご存じの方は多いと思います。
生まれつき手足のないオーストラリアの青年です。

父親は牧師でした。両親はこのような障害を持って生まれた息子を見て、神様のみ心がどこにあるのか疑い、息子の将来を思って絶望的になったそうです。

ニック自身もつらくて8歳の時から3回も自殺未遂をしたそうです。でも、両親の愛と助けのもとに育ち、一般の中高校に通い、大学では会計と経営を専攻し、前向きに生きておられます。

スケートボードをし、サーフィンをし、ドラムをたたき、ゴルフボールを打ち、パソコンも使いこなしています。

15歳でイエス・キリストを信じ、19歳の時から講演活動をしているそうです。

「人はだれでも十字架を背負っている。だれでも悲しみを背負っている。けれど、苦しみは人と比べるものではない。」

「あなたがどんな状況にあっても、神様はあなたと共にいる。神はあなたを導いて下さる。ぼくは空っぽの容器でしかない。」というメッセージに胸が篤くなりました。

「100回転んでも、起き上がろう意志がないと起き上がれなくなる。」

「自分が手足がないことを通して、人々がイエス・キリストを信じるようになるために生きている。手足がなくてもぼくの人生は希望でいっぱい。」

「神様はひと時もぼくを見放されたことはない。だからぼくも、ぼく自身をあきらめることはない。ぼくは、本当に祝福された人生だ。今、ぼくはだれも想像だにしなかった人生を楽しんでいる。ぼくはぼくの人生を愛している。」

と言うニックさんの目は輝いていました。

聖書の言葉
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:31)


ニック・ブイチチさんのYou Tubeは、もうひとつのブログ「生かされて」よりご覧ください。

ベサニー・ハミルトンさんのことは、次回書きます。

                  つづく

posted by 土筆文香 at 20:18| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

悲しみを乗り越え

先日、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会がお茶の水クリスチャンセンターで行われました。
JCPでは、「喜・怒・哀・楽」でエッセーを書いています。先日のテーマは「哀」でした。
Yさんが「哀」にちなんだあかしをしてくださいました。大震災で身近な方を亡くされて悲しんでおられる方にぜひ読んでいただきたいと思いました。Yさんの許可を得ましたので紹介させていただきます。


悲しみをのり越え


たいへん辛い悲しみを経験をしたことがあります。97年の10月5日、夜の11時ごろのことでした。長女から「結婚式の打ち合わせをしたいので先方のご両親に会ってほしい」という内容の電話がかかってきました。

家内などは大喜びをし、場所のことや料理のこと、そして着物のことなど、次から次へと話題を変えて話をし、終わったときは1時近くにもなっていました。

ところが、少し眠ったと思ったら、5時ごろになってまた電話がかかってきました。彼が交通事故にあって、意識不明の重態で広尾病院に運ばれたというのです。

事故があったのは昨夜の11時5分。家内と長女が結婚式のことについて楽しく話をしていた丁度その時だったというのです。仕事を終えて帰宅するべく、全日空ホテルの前の交差点をバイクで通過しようとしていた丁度そのとき、横合いから信号を無視してタクシーが突っ込んできたというのです。

 とるものもとりあえずわたしたちは病院に駆けつけました。しかし彼は意識を失ったまま一度も目覚めることなく、3日目の午後に息を引き取りました。

その間のことを少し、お話させていただきます。
集中治療室で少しの間面会を許された後、浜松から来られた彼のご両親に挨拶をし、そのまま、わたしたちは待合室にいましたのですが、知らせを聞いて30歳前後の若い人たちが続々と見舞いにきてくださり、午後の5時を過ぎたころには、集中治療室の前の廊下は若い人たちでいっぱいになってしまいました。

その殆どが、彼とわたしの長女の学生時代からの友人や職場の友人、そして、演劇活動を通しての友人たちでした。

彼は学生時代から演劇活動をしていたのですが、卒業後も仲間と小さな劇団を結成して活動を続け、私の長女も、学校は異なりますが、卒業後彼らの劇団に入って働きながら演劇活動をしていたのでした。

 話を戻しますが、次の日も、友人たちが続々と見舞いに来て下り、前日同様、集中治療室の前は若い人たちでいっぱいになってしまいました。そしてその日は、2、3人ずつでしたが、希望者全員に短い時間の面会が許され、多く若者たちが次々と集中治療室に入り、ある人たちは下を向いたまま無言で、またある人たちは体を震わせ、目を真っ赤にして帰ってきました。病院側の配慮によるお別れの時間だったのです。

3日目も希望者には面会が許されていましたのですが、午後に入ってそれが中断され、そして3時19分に息を引き取りました。

 警察による検死の関係でその日は地下室にある霊安室に安置されたのですが、夜の11時12時になっても帰ることなく、たくさんの若い人たちが残ってくださいました。

 そのようなことがあって、はじめは浜松で行う予定だった葬儀が、急遽東京で行うということに変更されました。一人でも多くの友人たちに見送ってもらった方が彼も喜ぶだろうとの、ご両親の配慮からでした。

そして、斎場は若い友人たちで埋めつくされました。在学中であればめずらしくはないのですが、彼の場合は卒業をして10年以上、わたしの長女も卒業をして七年、それにもかかわらず、150人前後もの若い人達が来てくださったのです。そしてその若い人たちみんなが、涙をもって見送ってくださったのです。

その様子を見て、私は、35年という短い人生ではありましたが、彼は人の3倍も5倍ものすばらしい友人に恵まれ、そして、人の何倍もの充実した人生を生きたのではないのだろうか、いや、きっとそうだ、そうに違いないと思うようになりました。

挙式を目前にして、交通事故で死んでしまうだなんて、なんと不幸せなと思っていた彼が、そうではないのだ、彼は幸せだったのだと思えるようになってきたのです。

わたしは『神のなされることは皆その時にかなって美しい』という、伝道の書の言葉がすきです。何かあるたびにそのみ言葉を思い出し、また口ずさんだりしていました。しかし、彼が亡くなってからは、そのみ言葉を口にすることができなくなってしまいました。そのみ言葉に出会っても、『アーメン』ということができなくなってしまったのです。

しかし、病院で祈ってくださった若い人たちのことや、葬儀の時にいっしょに泣いてくださった、たくさんの若い人たちのことを思い出したり、また、悲しみに打ちひしがれていた長女が、たくさんの友人たちの支えによって立ち直っていくのを見たりしている内にだんだん心が癒され、そのみ言葉を受け止めることができるようになってきました。「アーメン」といえるようになってきました。

 今回の大震災で、身近な人を亡くされ、そして、そのことを受け容れることができずに悲しんでおられる方がたくさんたくさんおられます。が、一日も早く、その人たちの心が癒され、そして、『神のなされることは皆その時にかなって美しい』といえる日が来きますようにと祈らずにはいられません。


posted by 土筆文香 at 16:21| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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