2014年05月27日

新しい力

この前の日曜日に息子一家が来ました。
ヒックンだけ土曜日から来て泊まりました。

土曜日、わたしはクリスチャン・ペンクラブの例会でお茶の水へ行っていたので、ヒックンは半日おじいちゃんとふたりで過ごしました。イオンに連れて行ってもらい、お昼を食べ、クレーンゲームをやって筆箱が取れたと大喜びしていました。

翌日は、生後2か月になるナルクンがきました。連休に会ったばかりですが、ひとまわり大きくなったように感じました。顔つきもしっかりして、呼びかけに反応するようになっていました。機嫌のいい時は声を出します。

夜、ヒックンが87歳のひいおばあちゃんに電話しました。おばあちゃんにナルクンの声を聞かせたいと言って、受話器をナルクンの口元に持って行くのですが、タイミングよく声が出ません。

「ナルクンの声を聞かせるのは、もう少し大きくなってからね」とわたしが言うと、ヒックンは「おばあちゃん。ぼくが代わりにナルクンの声出すね」

と言って、「アー、アー。アウー、アウ」とナルクンのまねをしました。
みんな大笑いです。

おばあちゃんは、ナルクンの声を聞かせようとしたヒックンのやさしさに感動して「元気が出たわ」と言いました。そのことをヒックンに伝えると、「おばあちゃん、元気がなかったの?」と心配そうにしていました。
人の心を思いやる子どもに育っていることを感謝しました。
ヒックンは「ああ、楽しかった。また来るからね」と言って帰って行きました。

帰った後はどっと疲れが出ます。疲れるということで、クリスチャン・ペンクラブで聞いた話しを思い出しました。一部紹介させていただきますね。

聖書には次のように書かれています。

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:28-31)」

年をとると「疲れた」というのが口癖になります。疲れを知らなかった若いころが懐かしく思えます。
でも、聖書には「若者も疲れる」と書かれています。それは、神からの慰めです。
「主を待ち望む者は新しく力を得……」
と書かれていますが、主を待ち望む者とはイエス様によって、新しく造られた者、すなわちクリスチャンをさします。

わたしたちは年をとって死ぬことが決まっています。裁きを受けることも決まっています。イエス・キリストにある者は、キリストの十字架と復活によって新しく力を与えられ、永遠のいのちを与えられると約束されています。その神の約束は、わたしたちの問題とは関係がありません。

『神の約束が先行している』と聞いて嬉しくなりました。
クリスチャンは、死に向かって歩いているけれど、復活の力に預かっているのです。
神様は「鷲のように翼をかって上る」ことができるほど、新しい力で生かしてくださるのです。

posted by 土筆文香 at 12:47| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月20日

偶然ではなく

わたしが所属している日本クリスチャン・ペンクラブでは年に数回ニュースレターを発行しています。
ペンクラブ会員、クリスチャン用に出しているというより、外へ向かって発信しています。

今回は「救いの証」特集です。どのようにしてキリストを信じるようになったかを10数名が書いています。

人それぞれ違った道をたどってキリストに導かれました。信じるに至ったいきさつは、まわりの人も本人も予想できなかったことではないでしょうか。偶然のように導かれていくのですが、それは偶然ではなく神様があらかじめ計画されていたことだったと後で気づくのです。神様の必然といえるでしょう。

わたしの文章も掲載されています。わたしは誰かに誘われたのでも、誰かに伝えられたのでもなく、三浦綾子の本を読んで教会へ導かれました。

でも、本を読んだだけで教会へ行けたのは、その前に伏線が敷かれてあったからです。そして、おそらくミッションスクールの先生もわたしの救いのために祈っていてくださったことでしょう。

クリスチャン・ペンクラブは今年で62年目に入りました。初代会長が「花子とアン」の村岡花子だということに喜びを感じます。
そのことについても詳しく書かれていますので、ぜひペンクラブHPを開いてニュースレターをお読みください。
posted by 土筆文香 at 16:58| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月28日

何もできなくてもいい

24日は児童文学者協会茨城支部の例会、25日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会と続きました。JCP例会は会場がお茶の水なので、毎回前日に都内の実家へ行って泊まっています。

24日。児童文学例会の会場が土浦駅の近くなので、終了前に出て3時の電車に乗り実家に向かいました。
実家に着いたのは5時。夕食の支度を母と一緒にすることになっていたのに、着いたらもう出来上がっていました。(夕飯は6時なのですが、母はいつも3時半ごろから夕飯の支度をしています)

母はこの夏、体調を崩して5sも体重が減ってしまったのですが、すっかり元気快復していました。でも、ひとまわり小さくなった気がします。

久しぶりにゆっくり話しました。神戸に住んでいたころの思い出話などして話に花が咲きました。信仰の話はなかなかできなかったのですが、JCPに提出する小さなあかし文章を読んでもらったときに「イエス様を信じたからこそ、今の私がある」と言いました。


クリスチャン・ペンクラブの今年の聖句はイザヤ書40:28-30です。

あなたは知らないのか 聞いていないのか
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、
精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、
若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:28-31)


わたしは、しばしば疲れ果てて歩くことさえできなくなってしまいます。自分の限界を感じ、あきらめの中に身を置いてため息ばかりつくことがあります。祈ることさえできず、希望を失ってしまうことがあります。

でも、この聖書の言葉を読むと力づけられます。主を待ち望む者は、大空を飛ぶことができるというのです。不可能なことが可能になるのです。

出エジプト記19:4には「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に乗せ、わたしのもとに連れて来たところを見た」と書かれています。
自分の力では一歩も進めなくても、神様が鷲の翼に載せて運んで下さるのです。

とべなくても、走れなくても、歩けなくてもいいのです。神様が運んで下さるのですから。
何もできなくても、すぐ疲れてしまってもいいのです。神様が力を与えて下さるのですから。
posted by 土筆文香 at 00:00| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月03日

悲しむ者の幸い

30日土曜日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のクリスマス会でした。11月なのにクリスマス会です。 12月はそれぞれの教会で行われるクリスマス会の準備などで忙しいので、ペンクラブのクリスマス会は一足早いのです。

ピアノ、ヴァイオリン、オカリナの演奏、朗読劇があり、すてきなクリスマスでした。

わたしは朗読劇の準備をさせていただきました。といっても配役を決め、台本を渡しただけです。練習する時間はありません。各自家で練習してもらって、当日の朝一回合わせただけです。今年はBGMと素晴らしい絵(紙芝居)が加わりました。

わたしは場面に合わせて絵を出す役をしました。タイミングを間違えずに絵を出すことに集中していたため、朗読劇が客観的にどうだったのかわかりませんでしたが、「よかった」という声が多く聞こえてきました。

「悲しみを越えて」というメッセージを聞いて心打たれました。

今年の3月に理事長のI先生が召されて、JCPのメンバーは悲しみに覆われました。
主よ、なぜですかと問いかけたくなります。問いかけてもどうにもならないのですが……。

I先生がいらっしゃらなくて、不安の中で例会が開かれました。
その中で神様は祝福してくださいました。主は最善をもって色々なことを導いてくださることを体験しました。

イエス様は「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイ5:4)」と言われました。

イザヤ53:3にはイエス様のことを「悲しみの人」と書いてあります。

イエス様が悲しみの人であるからこそ、悲しむ者と共に歩んでくださるのですね。そして、ほんとうの慰めを与えてくださるのです。
イエス様こそが慰め主なのだと伺って、悲しむ者の幸いをかみしめました。

初めて参加された方が4人もおられて、本当にうれしい一日でした。

怒涛のような日曜日が過ぎると、風邪がぶり返して昨日は声がまったく出ませんでした。クリスマス会の練習で子どもたち相手に大声を張り上げたからです。今日はだいぶ快復してきましたが、まだかすれ声です。

教会学校のクリスマス会は、悲しみが喜びにかえられるというテーマで劇をします。
posted by 土筆文香 at 20:49| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

わたしはある

27日から都内の実家に行って1泊してきました。今回は娘と一緒に行きました。娘は草取りの手伝い。わたしは料理と掃除の手伝いをしてきました。

母はこの夏の暑さで食欲が落ち、4sも体重が減ったと言っていました。わたしでもきつかったのですから、84歳の母にはさぞかし辛い暑さだったことでしょう。でもなんとか体を壊さず元気でいてくれることを感謝しました。


28日は日本クリスチャン・ペンクラブ9月例会でお茶の水までいってきました。
礼拝であかしをさせていただくことになっていたので、何日も前からずっと緊張していました。タイトルは「最近の私とあかし文章道」です。
原稿を書いて覚え始めてからも迷いがあって、内容はこれでいいのかなと不安に思っていました。

以前文章に書いて発表したことがある内容が含まれているので、覚えている人にとっては退屈なのではないかなどと思ったり……あかし文章を書くことにおいてベテランの先輩方の前で語る資格があるのだろうか……とまったく自信がなかったのです。

ちょうど当日の朝に読んだデボーション冊子、ディリ―ブレッド(RBC)に書かれている言葉に励まされました。
世界的に有名な伝道者ビリー・グラハム師がケンブリッチ大学で講演するとき、自分は洗練された思想家たちに語る資格はないと感じ、分不相応でいたらない者だと思ったというのです。

ビリー・グラハム先生でさえそのような恐れを抱かれたエピソードを読んで励まされました。
モーセも神様から命じられたことに対して「私はいったい何者なのでしょう」と言って躊躇しています。
冊子の文章を紹介します。

【「〇〇をしなさい」と神に示されたとき、自分の実力を疑問視するかもしれませんが、それでも、神は信頼できるお方です。私たちの欠点は、神の完全さと比べるなら取るに足りません。「私は何者……」と感じるとき、神の御名は「わたしはある」であることを思い出しましょう。】

神様はその日の朝、わたしに最もふさわしい文章を備えてくださったのです。目には見えないけれど確かに「ある」お方。その存在をはっきりと感じ、共にいてくださることを実感しながら語らせていただきました。


posted by 土筆文香 at 11:38| 日本クリスチャン・ペンクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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