2011年11月28日

生まれてこなければよかった人はいますか?


26日はクリスチャン・ペンクラブのクリスマス会でした。新しい方や久しぶりに来られた方もおられて、30名近く集まり、皆でクリスマスをお祝いしました。
今年は外部講師のH先生を迎えしてお話しを聴きました。

H先生は子どものころ、両親から虐待を受けていたそうです。「生まれてこなければよかったのに」と言われたと聞いて、どれだけ辛い思いをなさったかと胸が痛みました。

小学生のとき、引っ越し先の近所に牧師の家があり、その子どもたちと仲良くなったことがきっかけで教会学校へ行くようになったそうです。

また、お父様のすすめでミッションスクールに通うようになられます。
ミッションスクールの入学式のとき、自分が神様から愛されている存在だと気づかされ、『生きていていいんだ』と思ったそうです。

<(註)どんな人でも生まれてこなければよかった人間などいません。たとえ両親が望んでいなかったとしても、あなたの存在は、かけがえのない尊い存在です。たとえ両親がその人を愛さなくても、あなたを造られた神様が愛し、あなたを必要としてくださっています。>

「母の胎にいるときからご存じの神様が、教会へ行くことを備えて下さった」と言われました。
「神が私の人生を計画してくださっている。だから、私は虐待される子どもとして育つことが必要だった」と言われるのを聞いて、はっと心打たれました。

それでも、両親から虐待を受けて育ったことは、大変なことで大きな痛手になっていたのでしょう。
「このように育つべく育ったのは主の恵みだと気づいたのは、50歳のときだった」と言われました。
それまでの間、どれだけ苦しんでこられたことでしょう……。

「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。(ヨハネ21:6)」
という聖書の言葉から、舟の右側とは文書伝道だと気づかされ、JCPに導かれ、また神学校にも入学されたそうです。

教会の牧師になられ、出版社を立ち上げ、たくさんの仕事に追われるようになり、忙しくしていたとき、重い病気になってしまいました。病院に緊急搬送され、3か月の入院を余儀なくされました。生死をさまよっていたとき、神様からの召命は何だったか思い返され、文書伝道に立ち返られたそうです。

「神様はできないことをせよとはおっしゃいません。神様はなすべきことを示しますが、それと同時に賜物も与えて下さいます。
神様が見られるのは、結果の出来不出来ではありません。全力で打ち込んだかどうかです。」

という言葉に力づけられました。

わたしも神様から文書伝道をするようにと示されています。それなのに才能がないからダメなんだと自信がなくなったり、このまま文書伝道を志していっていいのだろうか……と迷うことがあります。結果を気にするからいけないのだと気づきました。

「神の賜物と召命とは変わることがありません(ローマ11:29)」のみ言葉をかみしめて、迷わず進んでいきたいです。

第2部は、JCPの音楽家たちによる演奏と賛美。クリスマスの喜びあふれる賛美に晴れやかな気持ちになりました。


posted by 土筆文香 at 21:19| ハテナシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

なぜ理不尽なことがあるの?

「誠実に生きている人が苦しい目にあい、悪い事をしている人が幸せに生きているのはなぜですか。神様は不公平です」と友人が言いました。

わたしもかつてはそう思っていました。人を傷つけ、いじめる人が幸せになって、いじめられる自分には辛いことばかり起こる……理不尽だと思いました。

理不尽だと思うことはたくさんありますよね。勧善懲悪だったらどんなにいいでしょう。でも、世の中は決してそうではありません。なぜ理不尽なことがあるのでしょう。
一昨日の聖餐礼拝のメッセージにはその疑問に対する答えが示されていました。

メッセージの一部を紹介させていただきます。
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今年の聖餐式ではキリストの役割について語ってきましたが、今日は『王であるキリスト』について話します。
イエス・キリストは主の主、王の王です。イエス様が王であるとは、どういう意味があるのでしょうか。

旧約聖書(イザヤ書9:7)には「(キリストが)ダビデの王座に着いて、その王国を治め・・・」「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」と書かれています。

イエス様ご自身は「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています(マタイ28:18)」と言われています。

王様は何をする人でしょう……ケアする人です。高齢者ケアを考えると、傷があれば手当をし、爪を切り、お風呂に入れ、そばにいて支えます。子どもには食事を与え、よい人間関係をつくり、人格全体に配慮します。

本当に良い王様は国民をケアします。
肉体の弱さに嘆いたり、行き詰まったり、困惑したり、罪深さに嘆くとき、王なるキリストがケアしてくださいます。キリストによって悲しみは喜びに変わります。

王なる方は、勝利を約束して下さいます。
「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33)」
王なるキリストはすでに世に勝っておられるからです。

キリストは最後の敵である死も滅ぼして下さいます。(Tコリント15:26)

その日、理不尽な悲しみの中にある人には慰めを与えられます。
その日、地上の苦しみ、嘆きはすべて消えてなくなります。
その日、悔いきれない過去の出来事もあふれれ出る赦しの中ですべて溶け去ります。
その日、どんな理不尽なことも神に完全に知られていたと発見して納得します。
その日、すべての痛みが癒され、この世のすべての不正や悪が燃え尽きます。
その日、感謝と喜びで輝きます。
その日、全世界が主の御名をほめたたえます。

その日を心に留めながら王の王、主の主がすべてを完成して下さると信じて待ちましょう。

聖餐式は、最後の完成の祝宴があるというしるしです。


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どんなに理不尽だと思うことがあっても、これらのことが理不尽でなかったと思える日がくるというメッセージに深くうなずきました。

いまの時、置かれている場所で考えると理不尽であっても、神様の視点、永遠の視点から見ると理不尽ではないのだと思いました。神様は不公平な方ではなく、またすべてのことを知っておられる方だからです。

その日とはいつでしょう? 
この世界は滅びると聖書に書いてあります。その日にはイエス様が再び来られて新しい天と新しい地が作られることが約束されています。その日は、涙がすっかりぬぐわれる日です。その日は、今までのいっさいの苦しみが消え去り、感謝と喜びで輝く日です。

「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:4)」
このみ言葉を読むと涙が出ます。

肉体の弱さに嘆き、友の嘆きに共感して涙するとき、どうしようもない悲しみに襲われることがありますが、それらがすべて消え去り、喜びと感謝にあふれるようになる日がくると信じます。
すでに世に勝利した、主の主、王の王キリストを待ち望つつ……。

posted by 土筆文香 at 12:44| ハテナシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

『心の闇』は世代連鎖するの?

わたしは一男一女の母です。ふたりとも成人し、子育ての時期は終わったといえます。

昨日も書いたように子育ての時期を振り返ってみると、世間の価値観で育てた部分があったので、決してよい母親とは言えませんでした。

また、わたし自身が親子関係で心に傷があって、それを自分の子どもに反映させてしまったことを認めます。娘は、過去のわたしの態度に怒りを抱いています。
わたしはこの歳になって、いまだに母親にしかられる夢を見ることがあります。

20日に教会で行われた教育講演会では、この心の傷のことを『心の闇』と表現されたそうです。わたしは教育講演会に行けなかったので、詳しいことはわからないのですが、今日の水曜礼拝でその内容に触れて話をしてくださいました。


『心の闇』は世代連鎖するのだそうです。
誰もが親の影響を受けて生きています。親の影響は、わたしたちが考えている以上に大きなものです。何歳になっても、親が亡くなった後でも、その影響は残るのです。

子育てをするうえで強制によって何かをさせるのは、真の教育ではありません。

確かにそうです。親がどういう態度で子どもをみているかが子どもに影響します。
学歴崇拝主義に洗脳されている親は、子どもを勉強に追いたてます。
子どもというやわらかいゴムを引っ張った状態で大学に送り出すことになります。その結果、子どもは大学生になって、のびきったゴムのように無気力になってしまうことが多いのです。

親にとって大切なことは、子どもを受容することです。でも、親自身が受容された経験がないとできません。

親に受容されずに育ち、自ら親になった人はどうしたらよいのでしょう……。

親に受容されなかったとしても、わたしたちは神様に愛され、受け入れられています。
「神の愛そのものが受容です」と牧師先生が言われました。

「神様は、わたしが何もできなくても、わたしの存在そのものを受け入れ、愛して下さっています。」

親には受け入れてもらえない部分があったけれど、神様には100%受け入れてもらっていることを覚えると、人を受け入れることができるようになります。(神様の愛によって世代連鎖が断ち切られるのですね)

「神様は、無理やりわたしたちの行動や考え方を変えようとはなさいません。神様は徹底的に愛し、罪を赦し、受け入れ、神の子として扱うことにより、その人の中に変化を促します。」
と聞いて、両親に受け入れてもらえなかった傷が癒されていくのを感じました。


明日から実家に行き、1泊してきます。帰宅する日の夜からヒックンを預かることになっているので、しばらく更新できないかもしれません。
posted by 土筆文香 at 21:40| ハテナシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

なぜたくさんの神様がいるの?

子どものときから「なぜたくさんの神様がいるの?」という疑問を持っていました。たくさんいる神様の中で、だれが一番偉いのか? 神様と仏様、どっちにお願いした方が効き目があるのか?……など、色々な人に尋ねたのですが、納得する答えは得られませんでした。

また、気の弱かったわたしは、何かに守ってもらいたいと思っていました。何をするにつけてドキドキ、ビクビクしていたわたしは、守って下さるものを求めていました。

求めるものがみつからないので仕方なく、「神様、仏様、助けて下さい」と唱えていました。いるかいないかわからない方に助けを求めているのですから、頼りないことでした。


昨日教会で4歳の男の子、K君に出会いました。孫のヒックンと同じ年です。
K君はお父さんと一緒に教会に来ていました。

お父さんが「この子が神様のことについて色々質問するので、誰に聞いたら教えてもらえるでしょう」と言われました。わたしは、ぜひ教会学校の幼稚科に出席するようにすすめました。「そこでは、毎週神さまのお話しが聞けますよ」と答えました。

4歳にして神様のことを知りたいと思うとは……。感動を覚えます。本当の神様のことを教えてもらえる教会にK君がすでに来ていることは、何と幸いなことでしょう。K君が教会学校で神様のことを知ることができますように。


昨日の礼拝メッセージは、パウロ伝の続きで、使徒の働き14:8〜20からでした。

ルステラの人たちは、さまざまな神を拝み、神に供え物を捧げていました。そして奇蹟を起こしたパウロとバルナバを神としてあがめようとしました。

パウロは、供え物などしないでほしいと訴え、
「私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。(使徒14:15)」と言いました。

パウロとバルナバは、神様がただひとりのお方であり、創造主であることを伝えました。
ルステラの人たちは、ユダヤ人と違って唯一まことの神様のことも律法も知りませんでした。

彼らは、何を信じたらよいのか分からなくて真実の神を求めていたわたしのようです。


パウロは神様が「恵みを持って、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たして下さったのです。」と、一般恩恵(神様を信じている者にも信じていない者にも与えられる恵みのこと)について語ります。


もし、子どものときのわたしがそのときルステラにいて、パウロの話を聞いたら、喜んで信じたと思います。


神様は、人間から供え物をしてもらわなければならない神ではなく、逆に人間に必要なものを与えて下さるお方です。

その後パウロは、ユダヤ人たちによって、石打ちにされてしまいました。彼らはパウロが死んだと思って町の外に引きずり出しました。弟子たちが取り囲んでいると、パウロは立ちあがって町に入り、翌日、福音を伝えるためにテルベに向かいました。


聖書にはさらっと書いていますが、石打ちの刑で死ぬ人は多く、パウロが助かったのは奇蹟ともいえるでしょう。相当の怪我をしたでしょうし、痛みに耐えなければならなかったでしょう。それなのに危険も顧みず、翌日次の町に行っています。


「福音は、血みどろになって運ばれてきたニュースです」と牧師先生が言われました。


こんな目にあっても伝えたいという思い。命をかけてでも伝えたい情熱はどこからくるのでしょう……。

K君や子どものころのわたしのように本当の神様について知りたいと切望している子どもがいます。わたしはそのような子どもたちに伝えたいと思って小説や童話を書いています。
   

posted by 土筆文香 at 21:04| ハテナシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

人は変わるのか?


立派な人、正しい人がクリスチャンであると誤解している人が多いと先日書きました。自分のどうしようもなさに気づいている人がクリスチャンであるなら、クリスチャンどうしで対立したり反目しあったりすることはないのでは?・・・と思っている人がいるかもしれません。実は、以前わたしもそう思っていました。

同じ考えを持つ者だから反目することはない。誤解することもされることもないと思っていたのですが……いえいえ、そんなことはありませんでした。

同じクリスチャンでも、育ってきた生活環境が違うのですから、感じ方考え方がそれぞれ違うのは当たり前です。ときには意見が対立することもあります。


17日の礼拝メッセージでは、パウロとバルナバの対立のことが語られました。
使徒の働き13:13には、パウロの一行が船出してペルガに渡ったとき、マルコ(ヨハネ)は一行から離れてエルサレムに帰ってしまったと書かれています。
ヨハネとも呼ばれるマルコは、バルナバの甥です。なぜマルコが一行から離れてしまったのでしょうか……。
困難な旅が予想されるのでこわくなってしまった。あるいは伝道旅行のリーダーシップが叔父のバルナバからパウロに移ったのでそれを不満に思った。など推測できますが、聖書には書かれていません。

それから数年後、マルコのことでパウロとバルナバが対立してしまいます。
「ところがバルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネをいっしょに連れていくつもりであった。しかし、パウロはパンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。(使徒15:37.38)」と書かれています。

ここで使われている「離れる」という言葉は『離脱』であり、英語では「見捨てる」「脱走する」の意味があるそうです。
教会では派遣式が行われ、パウロ、バルナバ、マルコは送り出されたのに、マルコが勝手にエルサレムに帰ったことは、仲間を見捨てることであり、裏切りと受け取られても仕方ない行為だったそうです。

マルコのことでパウロとバルナバは対立して、別行動を取ることになりました。バルナバはマルコを連れてキプロス島へ行き、パウロはシラスを連れてシリヤ、キリキヤ方面へ行きました。


「どちらが正しいかと問うのは、意味のないことです」
と牧師先生が言われました。
結果的には2つのルートで伝道されることになりました。聖書にはパウロの足取りしか書かれていませんが、バルナバの一行もキプロス島でよい働きをしたのでしょう。

ところが、それで終わりではありませんでした。パウロはその後、ローマで軟禁状態になりますが、そのとき書いた手紙の中に「マルコを伴って、いっしょに来て下さい。彼は私の務めのために役に立つからです。(Uテモテ4:11)」と記されています。

パウロがこのように書いたのは、マルコがその後、立派な奉仕をしてパウロに認められるようになったことのあかしです。

マルコは変わったのです。パウロはマルコのことで失望し、マルコを弁護するバルナバと反目してしまいましたが、のちにマルコを認め、赦しています。


マルコが変わったのはなぜか書かれていませんが、わたしの想像では、マルコは自分のとった行動のためにパウロとバルナバが反目してしまったことに心を痛めていたのではないでしょうか。
神様のみこころに従わないで自分の思いで行動してしまったことを悔いていたのでは……と思います。
そして神様に祈ったことでしょう。神様はそんなマルコのうちに働きかけて下さり、マルコを忠実な働き人に変えて下さったのだと思います。
             

「日常生活でも仲間から失望させられたり、裏切られたりすることがあります。でも、人は変わるのです。
自分もその人と同じような過ちを犯すことがあるかもしれません。それなのに人は、他人の欠点を見つけるとなぜすぐに断罪してしまうのでしょう。

神様が明日、その人を変えて下さらないと誰が言えるでしょう。
どんな状態になっていても、神様が明日相手を変えて下さるかもしれません。相手だけでなく私を変えて下さるかもしれません。神には人を変え、人を成長させる力があります。」

と牧師先生が言われました。


かつてわたしは卑怯者と言われても仕方ないことをしました。自分が悪く思われないために嘘もつきました。
そんなわたしを見て絶望した人もいたでしょう。傷ついた人もいたでしょう。

でも、神様はこのようなわたしを見捨てずにわたしが変わることを望んでおられました。
わたしは変わりました。いえ、わたしの力で変わったのではありません。神様が変えて下さったのです。

こんどは、わたしが過ちを犯した人を赦し、その人が『明日変わるかもしれない』と信じて、その人のために祈る者になります。このわたしが変わったのですから人は誰でも変わり得るのです。




posted by 土筆文香 at 07:35| ハテナシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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