2013年05月31日

「デイヴィッド・コパフィールド」を読んで

ネット読書会カラマの会の今年の課題本はチャールズ・ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」(石塚裕子訳 岩波文庫)です。昨年はドストエフスキーの「白痴」と「悪霊」だったので、気が重かったのですが、今年の本は大いに楽しんで読めました。

先日SLの旅に同行させ、牛久駅あたりで読み終えたので、感動が冷めないうちに少しだけ感想を書かせていただきます。
「デイヴィッド・コパフィールド」はモームが世界の10大小説の1つに選び,ディケンズ自身も「自分の作品中最も好きなもの」と語っている作品です。チャールズ・ディケンズはクリスマスキャロルも書いています。

岩波文庫で5冊もあるので最初は読み切れるかしらと思いました。ところが、ストーリーがおもしろくてどんどん読み進めてしまいます。しかも、主人公は少年。だんだん成長していくのですが、成人しても子どもの心を持ち続けているようなデイヴィッドです。デイヴィッドと共に笑ったり、涙を流したり、はらはらしながら読みました。
読書会のお仲間で1か月弱で読了してしまった方もおられます。

わたしは、途中でほかの本を読んだり、読み返したりしてブレーキをかけながらゆっくり読みました。読み終えたら寂しくなると思ったからです。(実際、読み終えた今、寂しいです)

「デイヴィッド・コパフィールド」とはこの小説の主人公の名で、チャールズ・ディケンズ自身の自伝的小説と言われています。でも略歴を見るとかなり違っています。精神的自伝小説と言った方がいいでしょう。
「ぼくは」という一人称で書かれています。たくさんの登場人物が出てきて、複雑に絡み合ったストーリーなのにデイヴィッドの視点からだけで書けるのですから、すごい筆力だと思います。

一人称なのに内面を鬱々と書くのではなく、読者があきる前にはっとさせられるような出来事が起こり、この先どうなるのだろうという期待を持たせ、そして期待を裏切らない結末に向かってストーリーが展開されていくのです。エンターテイメント的な要素が強いですが、わたしはすっかりこの小説に魅せられてしまいました。

小説はデイヴィッドが生まれるときのことから始まっています。生まれてくる子が女の子だったら援助するつもりで叔母さんがやってきますが、男の子だったのでがっかりして帰ってしまいます。(冷たい叔母さんだと思いましたが、あとからデイヴィッドを助けてくれ、愛情深い婦人だということがわかります)

デイヴィッドが生まれたときはすでに父親は亡くなっており、若い母親と乳母ペゴティーに育てられます。やがて母親が再婚し、継父とその姉からひどい仕打ちを受けます。寄宿舎のある学校に入れられ、先生から虐待を受けます。
また、デイヴィッドの母親は赤ん坊を生んで間もなく死んでしまうという悲劇的なストーリーです。でも、ちっともじめじめしていなくて、乳母のペゴティーがデイヴィッドを抱きしめるたびに背中のボタンがはじけ飛ぶようすが描かれていたり、ペゴティーの兄一家のユーモラスな言動に思わず微笑んでしまう場面があります。

さまざまな人たちが登場してきて、その個性的な人たちが生き生きと描かれています。
人物の描写が細かく、挿絵がついた文庫ですが、挿絵を見なくてもその人の顔かたち、体形が想像できます。
小説の最後の方で、物語に出て来た主な登場人物のほとんどが再登場していることに感心しました。デイヴィッドをとりあげた医師まで登場させています。

その後、あの人はどうなったのかな? と思っていた人のことが最後まできっちり書かれています。
ユライア・ヒープは相変わらず悪いままでした。結婚が決まっていたのにほかの男と駆け落ちしてしまったエミリーの心情については書かれていませんが、ミスター・ペゴティーにハムのお墓から一束の草と土を持ってきてほしいと頼んだというところでエミリーの思いが伝わってきました。

人間に対する深い愛情をもって書かれた「デイヴィッド・コパフィールド」。デイヴィッドはいつまでもわたしの心の中に生き続けるでしょう。

みなさんにぜひ読んでいただきたい小説です。まだ読まれていない方はぜひお読みください。中学生から読めます。

posted by 土筆文香 at 16:45| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月19日

病院で「冥土めぐり」

今日は病院の日で、内科と婦人科を受診してきました。
実は、先月の12日に予約を入れていたのですが、22日と勘違いしていて、20日になってから間違っていたことに気づいたのでした。
いつも受診日をカレンダーに書いておくのに、手帳に書いただけでその手帳を見ていなかったために起きたことでした。このようなことは初めてなので、自分自身ショックでした。

内科の方は、電話で再予約できたのですが、婦人科は予約ができませんと言われました。
以前、婦人科に予約なしで行ったら、6時間待たされたことを思い出しました。あまりにも長い間待たされたので疲れ果て、かえって具合が悪くなってしまいました。

今日は、3冊の本とペットボトルのお茶を持って出かけました。覚悟をしていたとはいえ、憂鬱でした。
ところが今日は内科が終わって婦人科に行くと、30分ほどで呼ばれました。血液検査をすることになり、検査室は患者が入りきれないほどたくさんいたので、そこで40分ほど待たされましたが、あとはスムーズで、終わったらまだお昼前だったのでびっくりしました。


待合室では図書館で予約していた本、「冥土めぐり」(鹿島田真希著、河出書房新社)をようやく借りられたので、それを読んでいました。
「冥土めぐりは」昨年の芥川賞受賞作です。作者の鹿島田真希さんがクリスチャンだと知って、読んでみたいと思ったのです。
この小説は、劇的なことが起こるというのではなく、主人公が理不尽を受容していく心の旅のような内面的小説です。

主人公の奈津子は、裕福だった過去に執着し、借金を重ねる母と弟から資産家と結婚することを望まれていました。
ところが、彼女が結婚したのは市役所の職員でした。結婚後、夫の太一は脳の病にかかり、体の自由を失ってしまいます。太一は困難を受容して今を素直に生きています。
生きる気力を失っていた奈津子は、太一と共に子どもの頃泊まったホテルに宿泊して、旅をするうちに変化していきます。

奈津子が母親や弟に縛られているのは、過去のトラウマからきているのだろうと思い、共感できました。夫の太一が突然脳の病にかかってしまうことは不幸なことなのかもしれませんが、そのことが救いとなったと気づくところが印象に残りました。

心に残った箇所を紹介します
「太一は自分の家族から受けた仕打ちについて、突然見舞われた、脳の病について、どうしてなにも語らないのだろう、と。この一連の理不尽と矛盾について、彼はどう思っているのだろう。だが、今旅の終わりに奈津子はなんとなくわかる気がする。彼はきっとなににも考えていないのだ。晴れの日は服を脱ぎ、雨の日は傘を差す。きっとその程度にしか感じていないのだ。(中略)普通の人なら考える。もうたくさん、うんざりだ。この不公平は、と。だけど太一は考えない。太一の世界の中に不公平があるのは当たり前で、太一の世界は、不公平を呑み込んでしまう。たとえそれがまずかろうが毒であろうが。」(p71〜72)

『不公平呑み込んでしまう。』という一文にはっとさせられました。
どうして自分だけがこんな苦しみを背負わなくてはならないのか、不公平だとつぶやくのではなく、不公平は当たり前のこととして受け入れる太一の姿に奈津子は救われたのだと思いました。

それにしても「冥土めぐり」というタイトルはどういう意味なのでしょう……。
わたしは、タイトルを聞いて、冥土という場所を旅する人たちのファンタジー的な小説だと思っていましたが、全く違っていました。

タイトルの意味について、作者が語っていたものがネットに掲載されていました。

冥土の概念が、天国でも地獄でもない不思議なところ。
「主人公が、心が死んでしまったような状態から、生きる生命力をもらって帰ってくる、そこが冥土を巡って帰ってきたという意味です。」


文芸春秋の選評では川上弘美氏が次のように書いておられます。

なんだかよくわからないのに、この小説はとても切実だった。その切実さは、作者が小説にこめた思いの強さ、などというものからきているのではないと思います。そうではなく、作者の書き方、技術の手柄なのです。技術という言葉は、「小手先」などという言葉と結びついて浅薄な印象をまま与えますが、書いている時の切実さを小説にこめるには、どうしても技術が必要になると思うのです。技術は、それぞれの作者が年月を積み重ねて独自に手に入れたものであり、決してマニュアル化のできないものです。

『技術は、それぞれの作者が年月を積み重ねて独自に手に入れたもの』
わたしの場合は、『年月だけは積み重ねて来たけれど、技術が伴わない』のです。
posted by 土筆文香 at 21:07| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月30日

悲しみで固まった心が・・・・・・

児童文学の例会で推薦する本があったら持ってくるように言われていたので、一冊の児童書を選んで持っていきました。。
「トイレ間違えちゃった」ルイス・サッカー(講談社)です。

「トイレ間違えちゃった」は、ちょうど10年ぐらい前に初めて読みました。このたび、再読してまた号泣してしまいました。
感動してほろりと涙が出るというのではありません。子どものように泣きじゃくって、本を閉じた後もいつまでも引きずって悲しみに浸ってしまうという泣き方です。
内容を紹介しますね……

主人公のブラッドリーはクラスで嫌われ者で、隣の席に誰も座ろうとしません。授業も聞いてないし、宿題もやってきたことがないので、ブラッドリーだけ金のシールが一枚ももらえません。
平気で嘘をつくので、先生には問題児とみられています。

転校生ジェフと友達になれそうになったのに、どうしたらいいかわからなくて、1ドル巻き上げてみたり、女の子をいじめようとして反対に殴られてしまいます。
ブラッドリーは、嫌われる前に自分のほうから嫌うことで、傷つくことなく生きられると思っていたようです。

ブラッドリーの家族はごくふつうの家族です。厳格だけれども遊んでもくれる警官のお父さん、やさしいお母さん、ちょっと意地悪なお姉さん。
ブラッドリーは友達がいないので寂しくて、家ではぬいぐるみ相手に一人芝居をしています。
カーラというカウンセラーに出会い、最初は心閉ざしていたのですが、少しずつ心を開いていき、変えられていきます。

ブラッドリーは、自分が受け入れられたと知って変えられていきます。いままで学校では誰からも受け入れられず、モンスターだと思われていたのですから、ブラッドリーの心は悲しみで固まってしまっていたのです。カーラと会話を交わすことによって少しずつほぐされます。

カーラの言葉がすばらしいです。
「あたしは、だれでも心の中に、かならずいい部分を持ってると思うの。みんなが幸せだと感じたり、悲しいと思ったり、さびしさを味わったりするわよね。でもなかには、だれかのことをモンスターだって決めつけてしまう人もいるのよ。ただそれは、その人の中のいい部分が見えないからっていうだけなの。――」

読み進めているうちにいつの間にかブラッドリーになりきっていました。
カーラが突然転任することを知ったときのブラッドリーの気持ちが痛いほどわかって、それで号泣してしまったのです。

この本は、絶版になっていますが
There's A Boy in the Girl's Bathroom という題でペーパーバックで出ているようです。
今度、原文で読んでみたいと思いました。
posted by 土筆文香 at 16:40| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月14日

病気になったら

今月の水曜礼拝では、牧師先生方が良書を紹介してくださっています。昨日は、晴佐久昌英(はれさく まさひで)神父の著書を紹介していただきました。

晴佐久神父はAD/HD(注意欠陥/多動性障がい)のため子供のころから居場所のない状態だったそうです。

大腿骨に腫瘍ができ、癌だったら足を切断しなければならないと医師から告げられ、腫瘍を取り除く手術を受けました。癌ではなかったのですが、癌病棟に入院されました。

そのときに書かれた詩、「病気になったら」が多くの病人を慰めています。
水曜礼拝では、「恵みのとき」(サンマーク出版 晴佐久昌英著)から詩の朗読を聞きました。

書き写すことができなかったので、インターネットで調べると、わたしがよく訪れているサイト「仙台いたみのクリニック」の祈りのページに掲載されていました。

晴佐久昌英著「だいじょうぶだよ」(女子パウロ会)からの引用なので、「恵みのとき」に掲載されている詩と少し異なっているかもしれませんが、紹介させていただきます。
               

病気になったら               晴佐久昌英 

病気になったら どんどん泣こう

痛くて眠れないといって泣き

手術がこわいといって涙ぐみ

死にたくないよといって めそめそしよう

恥も外聞もいらない

いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て

かっこわるく涙をこぼそう

またとないチャンスをもらったのだ

自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを

病気になったら おもいっきり甘えよう

あれが食べたいといい

こうしてほしいと頼み

もうすこしそばにいてとお願いしよう

遠慮も気づかいもいらない

正直に わがままに自分をさらけだし

赤ん坊のようにみんなに甘えよう

またとないチャンスをもらったのだ

思いやりと まごころに触れるチャンスを

病気になったら 心ゆくまで感動しよう

食べられることがどれほどありがたいことか

歩けることがどんなにすばらしいことか

新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか

忘れていた感謝のこころを取りもどし

この瞬間自分が存在している神秘

見過ごしていた当たり前のことに感動しよう

またとないチャンスをもらったのだ

いのちの不思議を味わうチャンスを

病気になったら すてきな友達をつくろう

同じ病を背負った仲間

日夜看病してくれる人

すぐに駆けつけてくれる友人たち

義理のことばも 儀礼の品もいらない

黙って手を握るだけですべてを分かち合える

あたたかい友達をつくろう

またとないチャンスをもらったのだ

試練がみんなを結ぶチャンスを

病気になったら 必ず治ると信じよう

原因がわからず長引いたとしても

治療法がなく悪化したとしても

現代医学では治らないといわれたとしても

あきらめずに道をさがし続けよう

奇跡的に回復した人はいくらでもいる

できるかぎりのことをして 信じて待とう

またとないチャンスをもらったのだ

信じるよろこびを生きるチャンスを

病気になったら 安心して祈ろう

天にむかって思いのすべてをぶちまけ

どうか助けてくださいと必死にすがり

深夜 ことばを失ってひざまずこう

このわたしを愛して生み 慈しんで育て

わが子として抱きあげるほほえみに

すべてをゆだねて手を合わせよう

またとないチャンスをもらったのだ

まことの親に出会えるチャンスを

そしていつか 病気が治っても治らなくても

みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり

甘えとわがままを受け入れて自由になり

感動と感謝によって大きくなり

友達に囲まれて豊かになり

信じ続けて強くなり

自分は神の子だと知るだろう

病気になったら またとないチャンス到来

病のときは恵みのとき



病気になると早く治そうと、そのことばかり考え必死になります。
「痛い」「辛い」なんて言ったらいけないと思い、ぐっとがまんし、努力して何とか治そうとします。でも、がまんしないでいいのですね。どんどん泣いていいと言われてほっとしました。

世間では、病気はマイナスだと考えている人が多いです。病弱な人より、元気な人、体力のある人が人間として優れているという考えが一般的になっています。
だから、病を隠して人知れず悩んでいる人もいます。

でも、なぜ神様は地上から病気を消してしまわないのでしょう……。それは、病気がマイナスではないからです。人間にとって、ときには病むことが必要だからだと思います。
病気が与えられたら、それはまたとないチャンスなのですね。

元気だと日々の生活に忙しく、立ち止まって色々なことを深く考える暇もありません。病気のときは、病気のときにしか感じ得ないこと、考え得ないことを体験できるのですから、病気は決してマイナスではないですね。

「病のときは恵みのとき」心からそう思います。

posted by 土筆文香 at 20:35| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月23日

ことばは人を変える

4歳のヒックンは実によく「ありがとう」と言います。
物をもらったときだけでなく、人から何かしてもらったときも、一日に何回も言います。ママがよく「ありがとう」と言っているからなのかもしれません。

先日ヒックンに絵本を読み聞かせしました。宮西達也のティラノサウルスシリーズ「であえてほんとうによかった」(ポプラ社)です。

凶暴なティラノサウルスが、スピノサウルスを食べようとしていたのですが、スピノサウルスに「ありがとう」「すごい」「おもしろい」「かっこいい」「やさしい」と言われるたびに心があたたかくなり、やさしくなってきます。

最後には、スピノサウルスに赤い実のなる木を届けて海に落ちて沈んでしまうという悲しい結末です。

聖書のヨハネの福音書の冒頭に書かれている「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは、神であった」という文章を思い出します。

また、ティラノサウルスの犠牲の死はキリストの十字架を思い起こさせます。
作者の宮西達也さんはクリスチャンだそうです。

ヒックンは「海に落ちたティラノサウルスがどうなっちゃったの?」としきりに尋ねました。せつなくなって、死んでしまったとは言えませんでした。「誰かに助けられて陸に上がったかもしれないね」と答えました。

感謝することばや褒めることばの力ってすごいなあと思います。ことばは人を変えることができるのです。

この間テレビで、ダウン症の書家、金澤翔子さんとお母様が出演しているのを見ました。
翔子さんの障がいのことで悩まれたお母様は、ある本の中に「神は無意味な存在をこの世につくらない」という言葉を見つけてはっとされたそうです。

そして翔子さんに書道を教えるようになりました。
翔子さんは、他の人とコミュニケーションをとることができなかったのに、書道で認められ、ほめられることがきっかけとなってインタビューにも答えられるようになったそうです。

NHK大河ドラマの「平清盛」の題字を頼まれたとき、何十枚も書いてその中から選んだと聞いて驚きました。
お母様に褒められて、素直でのびやかな心で書かれた字だからこそ、多くの人が感動するのですね。


posted by 土筆文香 at 12:56| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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