2014年02月04日

終わりのない冬はない

昨日はとても暖かだったのに、真冬の寒さに逆戻りです。朝から降っていた雨が、午後になって雪になりました。

今日は内科と婦人科通院の日だったので、病院まで歩いていきました。
いつもは自転車です。自転車で20分ぐらいかかるので歩いたら1時間ぐらいかなと思っていたら40分で着きました。早足でこれだけ歩くとホカホカ暖かくなります。ちょうどいい運動になりました。(元気な患者です)
 
日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)では、春・夏・秋・冬について400字エッセイを書いています。わたしが書いた「冬」のエッセイを紹介します。

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終わりのない冬はない

        
中2の毎日は終わりのない冬のようだった。 
いちばん辛かったのは、20分の昼休み。友達のいない私には居場所がなかった。ひとりでいるところを誰にも見られたくなかったので、図書室に行ったり、校舎の周りを歩いたりしてチャイムの鳴るのを待った。

3人連れのクラスメートに何度も行き会って恥ずかしくなり、トイレに籠った。
「長いな。誰が入ってるんやろ」
 
ふいに外から声がした。出るに出られない。どうしようと思ったとき、チャイムが鳴った。

その後、空想することで人目を気にせず時間を過ごせるようになった。ストーリーが生まれた。書き留めたら原稿用紙130枚にもなった。作家になろうと決心した。

このことが私に生きる意欲を与えた。作家になるために本嫌いだった私が片端から本を読み始めた。
その後、一冊の本をきっかけとしてキリストと出会った。本嫌いのままだったら出会えなかっただろう。終わりのない冬はない。


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人生の冬というと、老年期を思う人が多いかもしれません。でも、わたしにとって冬は中学2年のときです。関東から関西の学校へ転校して、なかなかなじめませんでした。精神的な苦しみに加えて喘息の苦しみがありました。
クラスでひとりも友達がいないということでつらい日々を過ごしていました。

担任の先生に呼び出されて「校舎の周りをひとりで歩いているんやて。友達作らなあかんで」としかられました。
引っ込み思案のわたしは、常に受け身で、自分から人に声をかけることがありませんでした。それまでは誰かが声をかけてくれて、少ないながらも友達がいたのです。ところが、中学2年になったとき、誰からも声をかけられず、かといって自分から声をかけることができず、孤立してしまいました。

どれだけ友達が欲しいと思ったことでしょう。それなのに先生から『作らなあかん』と言われるなんて……。
そのようなとき、空想するようになりました。現実逃避だったのかもしれません。空想の中ではたくさんの友達がいました。ストーリーが生まれ、おもしろくてたまらなくなり、書き留めることを思いつきました。

つらい冬の時期があったからこそ、発見できたのだと思います。

書くことで自分の存在を確かめることができ、書くことによって生きる喜びを見出していったのです。それは神様からのプレゼントです。
キリストと出会ったのは、それから8年も後のことです。きっかけになった本は、三浦綾子の「あさっての風」です。
posted by 土筆文香 at 21:19| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

ほっとできる交わりの場に

児童文学者協会の集まりが金曜日にあるので、合評原稿を書いていました。ようやく書けたのでほっとしています。
クリスチャン・ペンクラブのエッセーは、まだ推敲が終わっていません。金曜日までに書き上げなければ……。
昨年、家庭集会について教会の月報に書いたエッセイを紹介します。


ほっとできる交わりの場所に         

我が家で家庭集会を始めてから23年になります。現在、メンバーは10名ほどで3軒の家を開放して順番に行っています。ときにはレストランで行うこともあります。最初のころから来ている方、10年前、数年前から参加されている方などさまざまです。

メンバーには男性が2人いらっしゃいます。思考回路の違う男性の意見が聞けることは大きな恵みです。
わたしたちは、とても熱心に学んでいます。先生のお話しをひとことも聞き漏らすまいと一生懸命メモをとりながら聞いている方もいます。
学びの最中は割合静かなのですが、意見を求められると、待っていましたとばかりにたくさん話します。先生を圧倒するほどの勢いです。

学びが終わって食事をしながら、またおしゃべりに花が咲きます。悩みや愚痴も出てきます。でも、この場所で聞いたことはほかの場所では言わないという暗黙の了解があるので、心置きなく何でも話せます。聞いている人は、ただうなずいて聞いています。解決法が見つからなくてもいいのです。話している人も、ただ聞いてもらいたい、共感してもらいたいと思っているだけです。同じような悩みを抱えている方がいると、共感しあえます。話しただけで、抱えていた重荷が随分軽くなった気がします。

「自分みたいな者は、参加しても迷惑がかかるだけだから」と言って遠慮していた方が参加してくださったときは、大きな喜びです。

文京家庭集会が自分の居場所なんだと思え、くつろげる場所になれるように。同じことを繰り返し言っても大丈夫な場所に。自分をよく見せようと飾る必要のない場所に。ほっとできる交わりの場所に。そして、お互いに祈り合う場所に。共に神様を心からほめたたえられる場所になれたらいいなあと祈っています。

来年から我が家では家庭を開放するのが大変になってきます。未信者の夫が仕事をやめ、毎日自宅にいるようになるからです。なんとか来年も続けられたらいいなあと願っています。



*家庭集会の名は文京です。(以前文京町に住んでいたので……)
*主人に週3日の仕事が与えられて、あと半年は家庭集会ができるようになりました。感謝!
posted by 土筆文香 at 21:35| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

言葉で傷つけ、傷ついたとき

ようやく声がもとにもどり、元気快復してきました。
昨日は家庭集会のクリスマス会が教会で行われ、すばらしいオルガン演奏を聴いてきました。
今日は朝からカップケーキ作りです。30個焼きました。明日の子ども家庭集会クリスマス会で子どもたちがデコレーションをするのです。どんなふうにデコレーションされるのか楽しみです。
クリスチャン・ペンクラブのニュースレタークリスマス号に掲載されたクリスマスエッセイを紹介します。

神の作品


「あなたの言葉でひどく傷ついた!」
怒りを込めた友人の声が受話器から流れてきたとき、一瞬頭が真っ白になりました。
 
どのような言葉が彼女を傷つけたのかわかりませんでしたが、すぐあやまりました。あやまっても彼女の怒りはおさまりませんでした。
わたしはショックでほとんど食事がとれないほどに落ち込んでしまいました。 

どんな言葉であっても、わたしの口から出た言葉が人を傷つけてしまったのです。わたしは加害者です。これからも口を開けば誰かを傷つけてしまうかもしれません。家から出ず、誰とも話さない方がいいのでは……とまで思い詰めてしまいました。

それでも数日後、日曜日を迎えたのでわたしは重い心で教会へ行きました。その日の午後は、クリスマス会で教会学校の教師たちが演じるペープサートの指導をすることになっていました。

初めてわたしの書いた童話が教会で用いられ、嬉しくて練習も楽しみにしていたのですが、こんな精神状態でできるのだろうか……と案じ、必死に祈りながら指導をしました。
自分がどのように振る舞ったかわかりませんが、落ち込んでいることを誰にも悟られることなくできたのは、神様が力を与えてくださったからです。

その後、彼女が傷ついたのは、わたしの言葉を誤解して受け止めたからだということがわかりました。彼女とは和解しましたが、傷心のままクリスマスを迎えました。
今から考えると、なぜあんなに落ち込んでしまったのだろうと思います。わたしに責められるところがあったとしても、人格を否定されたわけではなかったのです。

わたしの中にアイデンティティーが確立されていなかったので、責められたとき、全人格を否定されたように思い、過剰に反応してしまったのです。
クリスマス会のペープサートは大成功でした。弱くて力がなくて、自分は誰の役にも立たないと思っていたロバのロム。それは自分自身がモデルでした。ロムは赤ちゃんイエス様に出会って力が与えられ、後にイエス様を抱いたマリヤを乗せて歩くようになるというストーリーです。
クリスマス会の本番、赤ちゃんイエス様がロムに語りかけるシーンで、イエス様がわたしにも語りかけてくださいました。

「もう、落ち込まなくていい。あなたはわたしが造った価値ある作品なのだよ」
 ああ、イエス様はこのことを知らせるために生まれてきてくださったのですね。
そのときから、このことを今を生きる子どもたちに伝えたいと切に願うようになりました。

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2―10)


posted by 土筆文香 at 20:44| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

ほんとうは人見知りなんです

わたしの通っている教会の婦人会は4つあります。20代、30代の婦人はルツの会。40代の婦人はユニケ会、50代は泉会、60代以上はナオミ会です。

泉会以外は皆、聖書にでてくる女性の名前です。泉会だけなぜ人の名前でないのかよくわかりませんが……。
泉という言葉はすてきですね。水がこんこんとわき出て、いつも新しくされているイメージです。もちろん、泉という言葉は聖書にたくさん出てきます。

泉会のメンバーは、40人ぐらいいます。人数が多いので、顔は知っていても名前がわからない方もいます。
泉会の11月の会報に原稿を頼まれたので自己紹介がてら書かせてもらいました。ここでも紹介させていただきますね。

       
ほんとうは人見知りなんです

わたしは子どものころ、内弁慶でした。家では大きな声でわがままを言ったりするのですが、一歩外に出ると人形のように無口でした。

ろくに挨拶もできませんでした。雨の日が好きだったのは、傘がさせるからでした。知り合いの人に出会っても、傘で顔を隠して知らんぷりしているような変わった子どもでした。

 人から見られること、注目されることがいやで、意識して目立たないようにしていました。必要なことの3割ぐらいしか言えず、いつもストレスを抱えていました。
 人前で話すときは緊張してかたまり、小さな声で話すので、「蚊の鳴く声より小さいね」と言われていました。

 そんなわたしが、「声がでかい」と子どもたちにしかられるようになり、人前で話すのにはそれほど緊張しなくなりました。言いたいことの9割は言えるようになっているので、子どものころ無口だったと言うと「嘘でしょ」と言われるほどです。

 それでも昔の性質が残っていて、ほんとうは人見知りなんです。一度親しくなってしまった人に対してはいいのですが、それほど親しくない人には、こちらから話しかけられず、話しかけられてもそっけない態度をとってしまうのです。

 教会内でも「文香さんに嫌われたみたい」と、言われたことがあります。ごめんなさい。違うんです。ほんとうは、人が好きで好きでたまらないのです。それなのに人見知りがまだ直らないのです。話しかけられると嬉しいので、泉会の皆さん、よろしくお願いします。

 最近気づいたことは、言いたいことの9割も話してはいけないということです。余計なひとことを言ったとき、相手を傷つけることが多いからです。8割ぐらいに留めておきたいのですが……。口での失敗は数限りなくあります。
「主よ、唇の扉に立ってこの口をもって罪を犯さないようにしてください」と祈っています。



日本クリスチャン・ペンクラブの理事、三浦喜代子さんがCGNTVの「本の旅」という番組に出演されました。ここをクリックして、番組を見る→「美しき姉妹たち」の右側300Kまたは56kをクリックしてご覧ください。

「本の旅」には2010年12月にわたしも「リピート・シンドローム」で出演させていただきました。
司会は、わたしのときと同じ久米小百合さんです。久米小百合さんは、かつて久保田早紀という名前で歌手として活躍されていた方です。

posted by 土筆文香 at 11:26| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月07日

試練の学校(5)

「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。

今回は最終回です。今年の12月で乳がんの手術を受けてから10年になります。いま、わたしは生きています。いえ、生かされています。


(五)病気になったことの意味

以前わたしは誰からも愛されていないとひがんでいました。両親から愛され大切に育てられたのに、愛されていることがわからず、逆らってばかりいました。
夫からも愛されているという実感がなく、不満を抱いていました。
愛されている実感がないと、誰も愛することができないのかもしれません。わたしは夫も子どもたちも友人も本当の意味で愛することができませんでした。

いつも自分本位で、相手が自分の思い通りになって欲しいと思っているだけでした。相手の立場に立って、深く共感し、思いやりを示すことができない者でした。
何より、自分自身を愛することができませんでした。こんなわたしなんか……と自己卑下していました。

でも、喘息と乳がんという病気を通して神様がどれだけわたしのことを愛して下さっているのか気づかされました。
坂道で星を見上げて泣いたとき、その小さな声を聞いていた方がおられました。わたしを造り、いつくしんで下さる神様は、わたしの苦しむ姿をじっとご覧になっておられたのです。神様はそのあとすぐ喘息を一時的に治して下さいました。

再び喘息が出たときは、教会を離れていた時期でした。神様はわたしを教会に引き戻そうと病を下さったのだと思います。
乳がんになる前、わたしの最大の関心事は神様のことではなくて、健康のこと、子育てのことでした。日常生活に追われ、毎日忙しく過ごしており、神様の前に静かにすわることが少なかったのです。

乳がんになって、死んでしまうかもしれないと思ったとき、頭のてっぺんから足先に電気が走ったようにビリビリ緊張感が走りました。
天国に持って行くことができないものばかりに夢中になって、大切なことを第一にしていなかったことに気づきました。

神様から与えられている時間は限られているのに今まで何をしていたのでしょう……。

聖書には「神の国とその義をまず第一に求めなさい」と書かれています。
死と隣り合わせになって、癌でなくても人間は誰でもみな死ぬという当たり前のことを悟りました。
死ぬかもしれなかった病が与えられて、いま、生かされている現実を考えると、真剣に神様の義を求めて生きなくてはと思いました。

わたしは、話すより文章を書くほうが得意なので、あかし文章を書くことが使命だと示されていました。でも、書いてばかりいると枯渇してしまいます。

まず第一に神様と真剣に向き合って祈ろう。祈るといっても自分の願いや希望を言うのではなく、黙って神様のみこころを求めよう。それから聖書の勉強をしようと決心して、通信で聖書の学びを始めました。

(六)完治について
わたしの喘息は、完治することはないそうです。何年も発作がなくても予防の吸入は生涯続けなくてはなりません。
また、乳がんは、術後十年以上経って再発転移する人がいるそうです。術後二十年再発転移がなくてようやく完治したと言えるそうです。ほかの癌より長い期間注意していなければなりません。

現在、乳がんの手術を受けて八年経ちましたが、まだ安心できる状況ではないのです。でも、そのような緊張がわたしには必要なのです。
完治するかどうか、それは大きな問題ではありません。大切なことは、心がどこへ向いているかです。

今、わたしはとても充実した日々を過ごしています。
朝起きると、『神様、今日も生かしてくださってありがとうございます。神様から与えられた尊い一日が始まります。どうか、あなたから与えられている時間を大切に用い、あなたの栄光を現す生き方ができますように』と祈ります。
明日でいのちが終わっても悔いのないように生きようと思うのです。

もしわたしが喘息や乳がんにならなければ、どうでもいいことで頭を悩ませ、つぶやいてばかりいたでしょう。

試練の学校で、神様はわたしに喘息と乳がんという病気を与えて、いのちの尊さと、大切なことは何かを教えて下さいました。

愛に欠けていたこのわたしが愛することができるようにと下さった課題が痛みと呼吸困難と肉体的、精神的苦しみでした。この課題を心から感謝しています。

試練の学校では苦しみのあとには必ず、恵みとあわれみのプレゼントが用意されています。
試練の学校はまだ卒業にはなりません。地上で生かされている限り生徒です。

卒業のとき、先生のイエス様から「よくやった。よい忠実な生徒よ」と言われることを目指して学び続けていきたいです。


苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩編119:71)

posted by 土筆文香 at 15:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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