2013年05月04日

試練の学校(4)

「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。
前回の続きです。


死んだら天国に行けると信じているので、死ぬことは少しも恐ろしくありません。でも、転移したときの苦しみがどれだけなんだろう……と想像したら恐ろしくなります。

それに、今死にたくないのです。わたしを必要としている家族がいるのに、それに人生が中途半端で終わるのもいやでした。
 中学生のころは死にたいと思っていたわたしですが、そのときは必死に生にしがみついていました。
(神様、このいのちを助けて下さい。まだ長女は高校生です。わたしが死んだら、夫や両親を悲しませることになります。どうかどうかもう少し、生かして下さい!)

わたしは泣きながら祈りました。祈っても平安は与えられず、すぐにでも癌が再発や転移するような気がして夜も眠れなくなってしまいました。

そんなとき、部屋の壁に貼ってあった星野富弘さんの詩が目にとまりました。

いのちが
一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった


事故で首から下を動かすことができない富弘さんが、いのちより大切なものがあると知ったとき、生きているのが嬉しくなったと言っておられます。いのちより大切なもの……それはイエス・キリストを信じる信仰だと思ったとき、はっとさせられました。

わたしはまだ死にたくないという自分の希望だけを神様に訴えていました。わたしのいのちは神様の手の中に握られているのに……。
自分が生きたいとどんなに望んでも、自分の意志ではたった一秒でも寿命を延ばすことができません。

これまでは自分の力で生きていると思っていましたが、そうではなくて、神様によって生かされていたのです。
『このいのちを神様にゆだねます。病気のこともいっさいおまかせします。』
そのように祈ったとき、ほっと楽になり、夜もよく眠れるようになりました。
 
(四)術後の苦しみ 

術後の治療は楽なものではありませんでした。でも、喘息の苦しみを経験しているわたしは、それほどつらいとは思いませんでした。

呼吸が楽にできるのなら、どんなことでも耐えられると思いました。点滴の抗がん剤治療は受けませんでしたが、一か月半の間、毎日放射線治療を受けに行きました。厳寒の時期、自転車で三十分かけて病院へ通う気力と体力が与えられていました。

術後数年して、腫瘍マーカー値が上がったことがありました。てっきり再発か転移だと思って、声を上げて泣きました。神さまにゆだねたつもりでも、気持ちが揺らぎます。弱いわたしです。幸い再発転移ではありませんでした。

また、検査結果を聞くために待合室にいると、緊張のせいで胃が痛くなってきます。名前が呼ばれ、診察室に入って画像をみつめながら医師の言葉を待つ間、この一瞬が何時間にも感じられます。心臓が飛び出すほどドキドキします。

「異状なしですね」という医師の言葉を聞いてほっと胸をなでおろします。
検査は三か月に一度、半年に一度、年に一度とだんだん間隔が伸びてきます。検査結果を聞くたびに感謝の祈りを捧げました。 
薬の副作用で関節が痛んだり、抵抗力が落ちて肺炎になったりもしました。
 
でも、喘息の苦しさに比べれば全然たいしたことありません。神様は、乳がんになる前に喘息の苦しみを体験させて、忍耐力を養って下さったのではないでしょうか。

肺炎になって高熱でうなされているとき、幻を見ました。眠っているのか起きているのかわらない状況でしたが、目はしっかり開いていて、色々な映像が浮かんでは消えていました。そのとき、多くの人の祈る手が見えました。

(あっ、今わたしのために大勢の人が祈ってくれている!)
その次に、何とイエス様が祈っている姿が見えたのです。

(イエス様もわたしのために祈っていて下さる!)
そう思ったとき、胸がいっぱいになりました。神様と人から愛されていると実感しました。
                      つづく
posted by 土筆文香 at 16:04| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

試練の学校(3)

「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。
前回の続きです。


(3)乳がんになって
乳がんの宣告を受けたのは、その十三年後です。喘息でさんざん苦しんだので、自分は癌にはならないと思っていました。
喘息は治っても、相変わらず体が弱かったので健康には人一倍気をつけていました。スイミング教室に通い、食べ物に気をつけ、体に良いと思われることは積極的に取り入れていました。それなのになぜ癌になってしまったのだろうと納得がいきませんでした。
でも、すべてのことをご存じの神様が、わたしに与えて下さった病気ですから、受け入れようと思いました。喘息のときにはなかなか受け入れられなかったのに、今回はすんなり受け入れられました。
喘息で苦しんでいたときは、神様を怨んだりしましたが、乳がんになったときは神様が何らかの意図があってこの病気を下さったのだと思うようになっていました。
 

神様はわたしのためにひとり子のいのちをくださったほどわたしを愛して下さっているのです。そのような神様がいたずらにわたしを苦しめるはずがありません。

礼拝で牧師先生がいつもおっしゃっていることー神さまの善意を信じましょうーを心に留めて、教会の人たちに「試練の学校に行ってきます」と言って入院しました。

「試練の学校」というのは、入院している間のことを意味していました。このときは、入院中はつらい試練があるけれど、退院するときに卒業できると思っていたのです。実際は、退院してからの方が大変でしたが……。
乳がんの大きさは一・五センチでしたので初期だと言われました。初期の乳がんは九十%大丈夫と聞いていたので、それほど心配しませんでした。

とはいえ、生まれて初めて全身麻酔を受けるので緊張しました。アレルギー体質なので、もし麻酔があわなかったら、そのまま天国行きになるかもしれないという心配がありました。

夫と子どもたちに見守られ、教会の先生や友人たちに祈られて手術室に入りました。
手術は予定していた時間をずいぶんオーバーしてしまいましたが、無事麻酔から覚めました。

術後の回復も順調で、もうすぐ退院というときに「リンパ節に四つのリンパ転移がみとめられました」と主治医に言われました。
リンパ節は手術時に切除しています。リンパに癌があったとしても大丈夫だろうと、そのときは思っていました。
でも、担当の看護師に話すと、さっと顔色が変わりました。看護師は何も言いませんでしたが、リンパ転移があることは、悪い状態なのかもしれないという不安がよぎりました。

退院してさっそくインターネットで調べました。
すると、【リンパ転移がある人は、癌の大きさが二センチ以下でも、十年生存確率四%】と書かれているではありませんか。真っ青になりました。リンパ転移は、今後遠隔転移(乳がんの場合は、肺、脳、肝臓、骨に転移しやすいそうです)が起こるかどうかの目安になるというのです。

(えっ、四%? 死亡確率がではなくて、生存確率が? それじゃ、もうすぐわたし死んじゃうんだ)
そのとき見たネットの記事は今ではなくなっており、現在はわたしの乳がんでは、十年生存確率が約五十%になっています(サイトによって数字に差があります)

                                              
                                      つづく
posted by 土筆文香 at 17:06| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月29日

試練の学校(2)

「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。
前回の続きです。


2)再び喘息に

喘息は完治したのだと安心していましたが、結婚して長男を出産した後、再び発作が起きました。そのときは軽くすんだのですが、その後、毎年秋になると発作が起きるようになりました。しかも年々ひどくなっていきました。
わたしは二十二歳のときイエス・キリストを信じ、神戸の教会で洗礼を受けていましたが、二年後に東京へ引っ越してからは、教会へ行っていませんでした。

再び喘息発作が起きるようになって、自分の力、意志ではどうにもならないことを思い知らされ、近くの教会へ通いはじめました。
それから三年後、実家で第二子を出産した後、ひどい発作が起きてしまいました。発作を抑える吸入薬が全く効かなくなり、食事も会話もできなくなりました。

やっとの思いで病院へ行くと、そのまま入院することになってしまいました。
入院と聞いたとき、ほっとしました。生まれたばかりの長女と三歳の長男のことを考える余裕がありませんでした。とにかく呼吸困難という苦しみからのがれたいという一心でした。入院すれば呼吸が楽になるだろうと思ってほっとしたのです。

ところが、酸素吸入をしても注射を打っても少ししか楽にならず、発作がずうっと続いていました。点滴を受けながらボロボロ涙をこぼしました。

このときは、洗礼を受けて八年たっていましたが、あまりの苦しさに祈ることさえできませんでした。喘息を憎み、神様はなぜこんなに苦しい目にあわせるのだろうと、神様を怨んでしまいました。

あとから看護師の友人に入院したときのことを話すと、そこまでひどくなってから病院へ行くのは危険で、手遅れになる可能性があったと言われました。気管支が完全にふさがれてしまったら、死んでしまうのだと聞いて、ぞっとしました。わたしはその一歩手前だったのです。

あれだけひどい状態だったのに、十日間入院しただけで発作が治まり、退院できました。
その間、長男は夫の実家で、生まれたばかりの長女はわたしの実家で守られ、育まれていました。

それからも喘息と闘いながら育児をしていましたが、長女が四歳のとき、また大きな発作を起こしてしまいました。救急外来で注射を打ってもらったのに帰宅すると前よりひどい状態になっていました。

丸めた布団にもたれて、「神様、もう耐えられません。早く天国に連れていって息をしなくてもいい身体にしてください」と、幼い子どもたちがいるのに死を願ってしまいました。
そのとき、私の心に聖書の言葉が示されました。

「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。(Tコリント十:十三)」
(耐えられないはずはないんだ)と思ったとき、ふっと肩の力がぬけて平安が与えられました。イエス様がそばにいて、やさしい眼差しで見つめておられるのを感じました。

発作は続いていましたが、うつらうつら朝まで眠れました。
その後、病院で予防の治療をはじめたので、それ以来、ひどい発作を起こすことがなくなりました。
               
                                                  つづく

posted by 土筆文香 at 15:53| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

試練の学校

昨年、いのちのことば社から出版されている月刊誌「百万人の福音」で募集していたペンライト賞の佳作になり、わたしの書いた文章が2012年4月号に掲載されました。
喘息や乳がんなど病気のことを書いたあかし文章です。数回に分けて紹介させていただきます。


(1)喘息で苦しんだ子ども時代
わたしは、子どものころから体が弱く、よく熱を出していました。二歳のときは肺炎で生死の境をさまよったそうです。肺炎は治りましたが、こんどは小児喘息になり、夜中によく発作を起こして、母に背負われて何度も病院へ連れて行ってもらいました。

中学生になれば治ると言われ、がまんしてきました。でも、中学一年の夏休みに神戸に引っ越すと、喘息がどんどん悪化していきました。
今は、喘息はきちっと予防すればひどくならずにすみ、がまんをしてはいけないそうですが、当時は予防薬がなく、ひたすら耐えるしかありませんでした。

 発作は深夜か明け方に起きることが多く、横になることもできず、まるめた布団にもたれて肩で息をしながら、朝になるのを待つのです。がまんしきれなくなると救急外来に駆けこんで注射を打ってもらいます。

(このままなら、一生治らないかもしれない。就職も結婚もできない)と、不安でたまらなくなりました。
発作は秋になると頻繁に起こり、冬になるとおさまってきます。発作が起きてないときは元気なので、喘息のことを考えないようにしていました。
秋になって胸がゼーゼー鳴りだすと、鳥肌がたちました。喘息という言葉を聞いただけで身震いするほど嫌な気持ちがしました。喘息は恥ずかしい病気だと思っていたので、喘息の持病があることを誰にも言いませんでした。
 
中学二年のとき、夜、病院の帰りに歩けなくなり、坂道でうずくまってしまったことがありました。付き添っていた母は中学生のわたしを背負うことができません。父を呼びに坂の上の家に走って行きました。真っ暗な中にぽつんととり残されたわたしは、恐ろしさに震えながら、坂道を四つん這いでのぼりました。
 
「こんなみじめで苦しい思いをしながら、どうして生きていかなくちゃならないの?」
泣きながら星を見上げてつぶやきました。

そのころ、学校では友達がひとりもいなくてつらい日々を過ごしていました。生きていても何のいいこともない。死んだら楽になれるのに……と思いました。まだ神様のこともイエス・キリストの存在も知らなかったときのことです。
でも、夜空を見上げたとき、気のせいか誰かに見守られているように感じました。気のせいではありません。絶望の最中に神様は助けを備えていて下さったのです。

その日、病院へ行くとき、父の会社の人の車に乗せてもらっていました。父が車で送ってもらって帰宅したことを知った母が、子どもが喘息で苦しんでいるので坂の下の病院まで乗せて下さいと会社の人に頼んだのです。
わたしは、発作で苦しむ姿を見られたくなかったので、いやだと言って柱にしがみついていました。そんなわたしを父が力づくで連れ出し、乗せてもらったのでした。

会社の人は、わたしが発作で苦しむ姿を見て、後日漢方薬をすすめてくださいました。その漢方薬がわたしの体質にあっていたようで、それを飲むうちに徐々に喘息がよくなってきました。一生治らないかもしれないと思っていた喘息でしたが、高校を卒業するころには発作が起きることはほとんどなくなっていました。

                            つづく
posted by 土筆文香 at 13:06| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月29日

心の傷 回復への道(その3)

わたしの反抗期は長く、11歳から10年近く続きました。最初は父に反抗し、その後母に反抗しました。でも、この反抗期は自己を形成するために必要な時期でした。
母に反抗してもその支配からなかなか抜け出すことができず、抜け出したのは40代に入ってからでした。

自己評価が極端に低いというわたしの抱えていた問題は、家庭環境にあったのかもしれません。でも、同じような環境で育ち、親から同じように否定的な言葉を言われてきた人がいたとします。その人は否定的な言葉をバネにして積極的で頑張り屋になったかもしれません。

わたしの生まれつきの性格にもよるので、誰かのせいにして怨むようなことはしたくありません。怨みを晴らすことができたとしても、それは何の解決にもなりません。

わたし自身、親になったとき、ひどい言葉で子どもたちの心を傷つけてしまったことがありました。

間違った育てられ方をしたり、家庭内で虐待を受けたり、「生まれてこなければよかった」と言われたり、愛されなかったり、愛されているのにそのことが伝わらなかったり……。

問題の多い家庭であっても、理想の親子関係でなくても、子どものころに深い心の傷を受けたとしても、どんな状態でも回復可能だということをお伝えしたくて書いています。

過去に戻ってやり直すことができなくても、傷は癒されます。新しく歩み始めることができます。

それでは、わたしはどのようにして癒されていったのでしょう。

5/19のブログ「あなたは高価で尊い」に【そんなわたしが自分の意見をはっきり言えるようになり、人前で感情を表せるようになったのは、聖書の言葉に出会って、自分の存在価値が認められていることがわかったからです。『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)』このみ言葉がわたしを根底から変えてくれました。】と書きました。
この一文をもう少し詳しく説明します。

聖書の言葉に出会うとは、初めて読んだということではありません。イザヤ書43章4節は有名な箇所ですから、22歳で洗礼を受けた後、何度も読んでいます。最初のうちは読んでも特別な思いを抱きませんでした。

「わたし」というのは神様のことだとわかりましたが、「あなたは」というのが誰をさしているのかわからず、たくさんの人がこの箇所を読むのだから、不特定な人に対して「あなた」と書かれているのだなあと思っていました。

ところが何度目か読んだとき「あなた」という言葉を見て、ドキッとしました。自分のことだと思えたのです。なぜそう思えたのか……(神様が働きかけて下さったとしか思えません)とにかくそう思えたとき嬉しくて涙が出ました。
そのときから癒しが始まったのです。神様によって薬をつけられ、包帯が巻かれたので、心の傷やひねくれた思いも少しずつ癒されてきました。

金環日食で神様からたくさんの○をもらったように思えたとき、自分でもびっくりしました。(5/21のブログをごらんください)○をもらうというのは、わたしの言動が、生き方が正しいという意味ではありません。わたしの存在が○だということです。
かつてのわたしは自分に×ばかりつけていました。そのことを思うと、いまのわたしは(完全ではありませんが)神さまによってかなり癒されていると思えるのです。

完全に癒されても傷跡は残りますが、その傷跡は同じように傷ついた人を慰めることができるでしょう。

聖書の言葉

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。(マタイ5:4)」

「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。(Tペテロ2:24)」

「主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。(イザヤ61:1)」

                           おわり

最後まで読んでくださってありがとうございます。
posted by 土筆文香 at 16:58| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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