2014年07月22日

無駄にならない苦しみ、涙、痛み

これは16日に書こうと思っていたブログ記事です。
15日はレストランで家庭集会を行いました。オーナーがクリスチャンなので、周囲を気にすることなく(といっても貸切状態でしたが)賛美し、祈ることができました。
学びの後は、おいしいランチをいただいて、話に花が咲きました。


新約聖書マルコ6:35-44「5つのパンと2匹の魚の奇跡」から学びました。

イエス様の話を聞きにきた群衆は、男だけで5千人もいました。群衆を解散させてくださいという弟子たちに対してイエス様は、「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい」と言われました。女、子どもも入れて1万人以上の人たちに食べさせるには200デナリ(労働者200日分の金額)も必要です。

弟子たちが困っていると、イエス様は「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」と言われました。
そこにあったのは5つのパンと2匹の魚、たったこれだけでした。ヨハネ6:9には少年が持っていたものだと書かれています。

弟子たちは、こんな少しの食べ物が何の役に立つのだろうと思ったことでしょう。
弟子たちはこれまでイエス様が行ったたくさんの奇跡を見ていました。それなのにイエス様がどんなことでもできる方だということを忘れているのです。

イエス様が祈り、祝福してパンと魚を分けると、そこにいた群衆が皆満腹して、さらにパン切れを集めると12の籠いっぱいになったのです。

イエス様は、何もないところからパンと魚を出すこともできたのになぜ少年の持っていた5つのパンと2匹の魚を用いられたのでしょう……。

イエス様は人の目には無駄だと思えるものを用いてくださいます。

イエス様は、無駄なものを他の人をも生かす祝福と変えてくださいます。」とA先生が言われました。

「苦しみ、涙、痛みは無駄にならない」と聞いて慰められました。イエス様の目から見たら、無駄なものなどひとつもないのですね。
少年が自分の持っていたお弁当を差し出したように、イエス様はわたしたちの持っている物を差し出すことを求めておられます。

わたしの持っているものは少しです。何を差し出したらいいのでしょう。
与えられている時間を人のために使うこと、友のために祈ることも、イエス様に差し出すことになるのなら、喜んで捧げたいです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」
posted by 土筆文香 at 13:02| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月19日

渡辺和子さんが紹介された詩

渡辺和子さんが紹介してくださった詩を掲載します


「ほほえみ」
もしあなたが
誰かに期待した
ほほえみが得られなかったなら
不愉快になる代わりに
あなたの方から
ほほえみかけて ごらんなさい
ほほえみを忘れた人ほど
それを必要とする人は いないのだから


「冬がきたら」
冬がきたら
冬のことだけを思おう
冬を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
冬のたましいにふれ
冬のいのちにふれよう
冬がきたら
冬だけが持つ
深さときびしさと
静けさとを知ろう

坂村真民「冬が来たら」より
posted by 土筆文香 at 21:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

渡辺和子さんのお話し

朝8時、朝食をとりながらNHK朝ドラの「花子とアン」を見ます。続けて「あさイチ」を家事をしながら見ています。

今日は敬愛する渡辺和子さんが「あさイチ」のゲストとして出演されたので、驚きました。渡辺和子さんは87歳。10年ぐらい前、つくばで講演会があって、聞きに行ったことがあります。その渡辺和子さんがまさか「あさイチ」に出演されるとは思っていませんでした。

今日は8時30分から美容院に行くつもりでいたのですが、昨日予約の電話を入れると金曜日がいっぱいで、土曜日予約になりました。ちょっとがっかりしていたのですが、美容院へ出かけていたら、番組を見ることができなかったので、感謝しました。

渡辺和子さんが出演している時間は、テレビの前に正座してお話を聞きました。

著書「置かれた場所に咲きなさい」の売上が140万部になり、昨年末に出された続編、「面倒だから、しよう」も30万部を突破しているそうです。

シスターである渡辺和子さんは、崇高ですべて悟りきっているのではないかと多くの人が思っていることでしょう。でも、人から意地悪をされたら腹がたち、あいさつをされなかったら不満に思うと言われました。わたしと同じ思いを抱かれることを知って親しみを感じました。

それでも、腹がたったり文句が出たら、神様に訴えるそうです。祈り、訴えているうちに、相手側の視点になったり、自分の悪いところに気づいたりするそうです。

以下、渡辺和子さんが話されたおよそのことを記します。録画はしておらず、メモ書きを見て書くだけなので、間違っている箇所があるかもしれません。

人からひどいことをされて、相手に悪い気持ちを抱いたら、その気持ちと戦うことです。もし、仕返しをしたら相手のレベルに下がってしまいます。相手を赦さないとあなたは自由になれません。相手の動向が気になり、一日中その人のことを考えて囚われてしまいます。

自分が返してもらえなかった笑顔は神様のポケットに入って、どこかでいちばんいい使い方をしてもらえます。


最後に「財産となるような歳をとりたい。」と言われました。

それは、自分らしく生きるということ、時間をたいせつに過ごし、自分を成長させていくことなのだと……。その生き方に感銘を受けました。


お知らせが遅くなりましたが、日本クリスチャン・ペンクラブのHPにわたしのエッセーが掲載されています。「南吉に伝えたいこと」です。
ここをクリックして作品→エッセイ楽2をご覧ください。
posted by 土筆文香 at 15:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月16日

天を見上げて

13日に教会学校でステパノの殉教のお話をしました。お話の準備をしていて考えさせられたことを書かせていただきますね。

最初の殉教者と言われるステパノは、知恵と御霊(みたま)によって人々に福音(イエス様のしてくださったこと)を伝えていました。

ユダヤ人たちの中でステパノを憎む者たちがいました。ステパノをなんとか言い負かしてやろうと議論するのですが、ステパノは知恵と御霊によって語ったので、対抗できませんでした。それで嘘の証言によりステパノをつかまえ、裁判にかけました。

憎しみに満ちた人たちの前に立たされたとき、ステパノの顔は御使(みつか)いのように見えたそうです。何の悪いこともしていないのに人々から貶められ、憎まれ、殺されそうになっているときになぜ穏やかでいられたのでしょう。

ステパノは大祭司の前で旧約聖書に書かれているアブラハムから始まるイスラエルの歴史を淡々と語ります。それは聖書(使徒の働き7章)3ページに渡って書かれています。

ステパノが人々の罪を指摘すると、人々は激しく憎悪しました。
聖書には「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした(使徒の働き7:54)」と書かれています。

一方ステパノは聖霊に満たされて「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。(使徒7:56)」と言いました。人の子とは、イエス様のことです。

人々はいっせいにステパノに殺到し、ステパノを町の外に連れて行って、石打ちの刑にしてしまいます。

石打ちの刑とは重罪を犯した人に石を投げて殺す刑罰で、姦淫の女が石打ちの刑にされそうになっているとき、イエス様が助けたことが福音書に書かれています。

ステパノは石を投げられているとき、天を見上げて「主イエスよ。わたしの霊をお受けください」と言い、「主よこの罪を彼らに負わせないでください」と言って、息を引き取りました。
イエス様が十字架上で言った言葉を思わせますね。

このような立派なステパノの姿をみると、自分とあまりにもかけ離れているので、引け目を感じてしまいます。
わたしだったら、憎しみの込められた目で見られたら、こちらもそういう目で見返してやりたくなるし、石を投げている人たちに恨みを抱くだろうなと思ってしまいます。

なぜステパノはこのような死に方ができたのかと考えながら何度も聖書を読んでいるうちに、気づいたことがありました。

ステパノに対して聖書は『恵みと力とに満ち』『知恵と御霊に満ちていた』『聖霊に満たされていた』と書いています。

恵みも力も知恵も聖霊(御霊)もステパノが努力して勝ち取ったものではなく、神様が与えてくださったものです。これらはキリストを信じる者のうえに降り注がれているのですが、両手を広げて受ける人と、下を向いていて受けようとしない人がいるのではないかと思います。

ステパノは、人々の憎しみにさらされていましたが、人々を見ずに天を見上げていました。その証拠に「天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言っています。
いつも神様を見上げることによって、神様から恵み、力、知恵、聖霊(御霊)をふんだんに受けていたのでしょう。だから、石打ちの刑を受けても恐怖を感じず、自分を殺そうとしている人々を愛することができたのではないでしょうか。


「こんなふうにしてステパノが天に召されていきました」と子どもたちに話すと、悲しそうな顔をして「ステパノは死んじゃったの?」と尋ねた子がいました。
胸が締め付けられるような気持になりました。でも、ステパノは天国に迎え入れられたのです。

そのあと、日本でキリスト教迫害が起こって多くの人が殉教していったことを話し、「いのちよりも大切なものがあります。それを守って死んでいった人たちは天を見上げ、平安な心で召されていったことでしょう」と話しました。
わたしも天を見上げて歩んでいきたいと思いました。
posted by 土筆文香 at 20:59| 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月14日

わたしの仕事

色々なことがあって、先週は一回しか更新できませんでした。

金曜日は児童文学者協会、茨城支部の例会の日でした。ちょうどその日の朝、台風が茨城県を通過することになっていて、前日に県内の小中学校は休校と決定されました。
台風が近づいているにしては、雨も少なく、風もたいしたことありません。ニュースでは被害のあった場所を何度も何度も繰り返し放送しています。

例会を中止にするべきかどうか案じていたとき、メンバーの一人が、「風が強かったら危なくて車で行けない」と言ってきました。半数ほどは電車で行くのですが、常磐線は強風なら遅れるか止まってしまうでしょう。
決断力のないわたしはリーダーに向いてないとつくづく思います。別のメンバーに電話で相談して、11日の朝に行うかどうか決めることにしました。

それからのわたしの仕事は祈ることです。たいしたことないと思って決行し、けが人が出たら大変です。正しい判断ができるように。できれば11日、台風がそれて雨風ともおさまっているようにと祈りました。(祈ってからは、ひとかけらの心配もなくなり、ぐっすり眠れました)

祈りはきかれ、翌朝は晴れていて風もほとんどありませんでした。千葉に上陸したようですが、7時の段階で千葉県も雨風がおさまっていました。
30度以上の暑さになりましたが、天気の心配は過ぎ去り、無事例会ができたことを感謝しました。

翌日は、息子たちの家に呼ばれていってきました。
ナルクンが生後100日を過ぎたのでお祝いということで、お嫁さんのご両親と共に集まりました。息子がローストビーフと筑前煮を作ってごちそうしてくれました。
posted by 土筆文香 at 12:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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